一流企業を退職し、月給数万円の米・独立リーグへ

 2000年代、この異国の独立リーグに挑戦する日本人も出てくるようになった。伝も何もない状況から、日本でバイトなどで稼いだなけなしのお金をはたいて、アメリカ独立リーグの入団テストに挑戦していたのだ。

 大学野球引退後、この独立リーグの入団テストを受けて回ろうと決意する。単身渡米し、独立リーグの入団テストも兼ねた、教育リーグに参加。ここでは、集まった選手たちが各チームに振り分けられ、約1か月間ほぼ毎日試合を行う。それをメジャーやマイナー、独立リーグのスカウトたちが見て回る。

 結果は……、ここでも惨敗。雇ってくれる球団はどこもなかった。

 帰国とともに、本格的な野球からは離れ、株式会社セブン-イレブン・ジャパンに就職し、サラリーマンとして働き始めた。

 でも、このまま終わりたくはなかった。どうしても子供の頃からの夢と、学生時代の悔いが、自分の気持ちの中で渦巻いていた。「まだやれるはずだ!」。そして27歳の時に、現役復帰を決意し、退職する。

 2013年に、以前参加した教育リーグで出会った伝をたどり、アメリカ独立リーグのペコスリーグ、ラスベガス・トレインロバーズで練習生として所属させてもらえることになった。

シーズン中お世話になったホストファミリーと。一番右が宮寺さん。左はチームメイトの日本人選手・安田さん。中央は「ソノマ・ストンパーズ」の日本人監督・三好貴士さん
シーズン中お世話になったホストファミリーと。一番右が宮寺さん。左はチームメイトの日本人選手・安田さん。中央は「ソノマ・ストンパーズ」の日本人監督・三好貴士さん
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 独立リーグで最も薄給のリーグ。月々200~400ドル(当時のレートで、2万3000円~5万円ほど)。2か月半で70試合をこなす過密スケジュールで、遠征になると小さなバンで10時間移動の後、すぐに試合なんてこともある。経費削減のため、遠征先のホテルでは2人部屋を4人で使い、ベッドは2人で1台という過酷さだ。レベルは、ルーキーリーグから1Aレベルと言われていて、削りの選手が多いのが特徴だ。この年の出場機会はプレーオフも含め、10試合にとどまったが、海外で野球をできる喜びの方が大きかった。

 もちろん会社を退社するに当たって、葛藤はたくさんあった。不安定な道を歩むのがとても怖かったし、将来のことを考えれば不安でたまらなかった。周囲の声は冷ややかだったし、自分でも正しい選択だと思いきれなかった。それでもやろうと思ったのは、まだ見ぬ海外野球という未知の世界に対する好奇心と、何よりも野球をすることが好きだったからだ。