東日本大震災の起きた2011年、5年にわたったスイスでの活動にひと区切りをつけ、日本に拠点を移したのも、彼の言葉が引き金となった。

日本人として日本から派遣され大会に出ることで“日本という国にサポートされている”という気持ちになる。それが大事だとフェリックスが言ったんです。スイスにいた2013年までは自分が好きなように試合に出ていた。でも“竹内智香は日本チームで活動していると認識してもらうだけでもひとつの力になる”と彼は考えていました。

 最初、大げさだと思ったけど、五輪みたいな大舞台で運を引き寄せたり、勝利を呼び込むためには、たくさんの人の応援や目に見えない力が必要なのかもしれない。そう考え直して、帰国を決めました」

 バンクーバー後は、親戚の存在をきっかけにトリノのころから結びつきを強めた第2の故郷・広島の観光大使を務めるなどした後、2011年10月に広島ガスが彼女のためにスキー部を創設。そこに所属する形で本腰を入れて活動することになった。

 とはいえ、練習拠点が広島にあるわけではなく、夏場は東京でフィジカル強化にのぞみ、秋から春にかけて世界各地を転戦する形を取ってきた。

 こうした動き方の変化もプラスに働いたのか、4度目のソチでは冒頭のとおり銀メダルを獲得。一番欲しかった金色ではなかったが、表彰台に上がるという最低目標はクリアした。

 それもスタドラー氏から竹内が教えられた「多くの人たちの応援やサポート」のおかげなのだろう。「日本人の壁」を乗り越え、「日本人としての強み」を発揮したからこそ、今の彼女があるといっても過言ではない。

大ケガを乗り越えて、どんどん強くなっている

定期的に身体のメンテナンスを受けている大岡さんと。大岡さんも彼女のメンタルの強さを絶賛する
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 ソチでつかめなかった金メダルを4年後の2018年平昌で手にする……。言葉にすれば簡単なことだが、挑む側の竹内としては非常にハードルが高い。ソチからの3年半もさまざまな模索が続いた。

 中でも大きかったのが、2016年3月に負った左ひざ前十字じん帯断裂の大ケガ。選手生命に関わる一大事で、リハビリも過酷を極めるが、竹内は決して弱音を吐かなかった。現在、彼女が週1回通っている東中野ETI整骨院の鍼灸師・大岡茂氏は「このケガで彼女ほど順調に回復したアスリートを見たことがない」と驚いていた。