高校では美術部に入部した。小学校では相撲、中学ではテニスに取り組んだが、アニメや漫画、イラストに強く惹かれるようになったからだ。

「美術部は居心地がよかった。男子部員は4人だけで仲がよく、活動内容は絵も描きますが、だいたい、くっちゃべってましたね(笑)。ただ、(スマホ向けゲームの)モンストやパズドラの話をされるとついていけない。

 音楽の話なら加わります。最新のアーティストじゃなくてミスチルとかなら。学校帰りには男子部員でカラオケボックスに行きましたね。友達同士で行くカラオケは何を歌っても大丈夫なので気持ちいい。採点で80点取れないんですけど

 とおもしろおかしく話す。

強がる父が心配

 もちろん絵を描かないわけではない。自宅のスケッチブックには描きためたイラストがある。描いて消して、描いて消して、「落書き含めて100点以上」。東京には好きな作家の画集を持っていく。

スケッチブックに描いたデッサン
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「仕事にするには描きたいものばかり描くわけにはいかない。求められた絵をどれだけうまく描けるか。そのために2年間勉強します。正直言うと、東京にはあまりいいイメージはないんです。空気がもわっとしていませんか。でも、いままで続けてきたように絵を描いて、描きまくりたい」

 小学校でも、中学校でも卒業式は仮設校舎だった。孝幸さんは「震災がなければと、なんだか、せつなかった」としみじみ振り返り、初めて本校舎で行われる卒業式の参列前は「絶対に泣かないから」と言い切っていた。しかし、やっぱり泣いた。

 孝幸さんを残して東京に行くのは心配じゃないか、と雄貴さんがひとりのときを狙って尋ねた。

「心配です。でも、何を言っても、いつもどおり“大丈夫。やりたいようにやりなさい”と言われて終わりだろうな。父はこれからどうやって生きていくんだろう。何を生きがいに……と考えて、うるっときました。父は“あ〜もう食事作らなくてすむんだ。俺はもう作らないよ。コンビニ弁当でいいもん”とか強がりみたいなことを言うんです」

 トイレから戻ってきた孝幸さんは、そんな話はつゆ知らず、「じいちゃんも絵がうまいので血筋」と笑った。