「新しい学校になじめず、お風呂で泣いていたときもありました。でも、いまはやっと笑えるようになりました。少なくとも娘が高校を卒業するまでは帰らないですね」

 女性も、娘と同じように地域になじめないが、再開した町の学校の子どもが少ないためもあり、戻らない。

 桜並木の近くにあった自宅は現在、夫の知人に無料で貸している。避難中に庭に生えた草木を、チェーンソーを使うなどして家族で切った。

「家を建てて3年で事故がありました。解体はもったいない。維持管理をしてくれるだけでもありがたい」

 娘が高校を卒業したら町に戻るのだろうか。

「帰るとすれば、小さいころに過ごした浪江町がいい。しかし、実家は帰還困難区域ですので、いつ戻れるようになるのかわかりません

人口不足で店の採算がとれない

 原発から北に約8キロ付近にあるJR浪江駅は昨年4月に再開した。町の一部は昨年3月末、避難指示が解除されたが、山側は帰還困難区域で戻れない。居住者は516人(2月末現在)。住民登録は1万7896人で、帰還率は3%という状況だ。

 駅から数分の距離にある新聞販売店「鈴木新聞舗」の鈴木裕次郎さん(34)は「廃業を考えて、郡山市で避難生活をしていたときに介護の勉強をしていましたが、“新聞もない町に帰りたくない”との声があると町職員から聞きました」と、再開した理由を話す。 

 しかし、戻ってきた人が少なく、採算がとれない。

祖父の代から80年続く新聞販売店を再開させた鈴木さんはコミュニティー再建も担う 撮影/渋井 哲也

「新聞購読率が高い地域ですから、1年もたてば採算がとれると思っていましたが、予測がくつがえされました」

 気合を入れ、販売店を再開した鈴木さんは新聞広告折り込み機も新しく購入した。人手不足でも効率よく挟める。しかし折り込み広告が少なく、1日平均3枚。誤算だった。

 震災前はアルバイトを含め従業員は30人だったが、いまは2人。隣接する南相馬市小高区の販売店が廃業したため、同区での配布も引き継いでいる。そのため配達範囲が広く、時間がかかる。

「アルバイトが集まらない。人の取り合いで、経営が難しいですね」

 震災から7年もたてば、避難先でそれぞれの生活が始まっている。実は、鈴木さんも妻と9か月の子どもと南相馬市原町区に住んでいる。