捨てられた私を抱きしめた裁判官

「母は3姉妹の末っ子だけど、上の2人が幼いときに続けて亡くなってしまった。だから、彼女はおじいちゃんに溺愛されて育ったの。

 例えば季節はずれに“さくらんぼが食べたい”って言ったら、おじいちゃんは何としてもそれを見つけて買ってくるのよ。母は“今これが欲しい”と言ったら、絶対に手に入れないとダメな人に育ったのね」(生田さん、以下同)

 そんな彼女が西南大の学生だった18歳のときに、生田さんを身ごもり結婚。だが、幸せな時間は長く続かない。

モデルとして活躍していたころ母とのツーショット('65年)
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「うちの父はめちゃくちゃ大酒飲みで、しょっちゅう夫婦ゲンカをしていた。それで母は夜にタクシーを呼んで、私を連れて逃げるわけ。だけど私だけ途中の公園に置いていかれるわけよ。“忘れ物したから取りに戻る”って。3歳か4歳よ。

 当時なんて街灯もないから真っ暗な中で、待てど暮らせど戻ってこない。そうすると遠くから“悦子!”って、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんの声がするのよ。“ここです!”って必死で叫んだわ

 母は博多駅から汽車に乗り、家出状態に。そんなことが何十回もあったという。

 また、睡眠薬を使った自殺未遂も起こしている。

「4歳くらいから何回も何回も。それで、病院でホースみたいなのを口に突っ込んで胃洗浄をしてもらう。“先生、お母さんを助けてください。助けてください!”って」

 結局、両親は生田さんが9歳のころに離婚。今でもあるシーンを鮮明に思い出す。

「重厚な建物の中で、私がひとり長イスに座っているの。そうしたら、黒いスーツを着た知的な女性がコツコツと歩いてきて、私の前に跪いてこう話すのよ。

 “悦子さん、こんなに可愛いのに、なんでお父さんもお母さんもいらないって言うんだろう”って抱きしめてくれた。彼女は裁判官だけど、それだけはずっと忘れられない。ふたりとも生活難じゃないのよ。だけど、私のことはいらないって……

 両親から引き取りを拒否された生田さんは、母方の祖父母のもとへ。だが、それは孫への愛情ではなかった。

「おじいちゃんは母のことが大好きだから、育てているだけ。だから、ひざの上で抱かれたことは1度だってないの。愛されていないのがわかるから、“一緒にお母さんと住みたい”って思いしかない。

 でも、おじいちゃんにもおばあちゃんにも、そんなことはひと言も言ったことはない。ふたりの前で泣き言を言ったら、次はどこに行かされるのよ? 誰が私を拾ってくれるの? 公園で捨てられ、裁判所で捨てられ、そういう恐怖心をずっと持っているのよ