東出 人間には多面的な部分があるという前提ですけど。僕は自己本位なところがあるので、麦に近いんじゃないですかね。亮平は徹底的に他者を気遣い、自分が傷ついてでも相手を受け入れる。それが彼の弱さでもあるけど、僕にとっては輝かしい部分で、憧れは抱きますね。

 いざ、高校生クイズのように、「麦と亮平、東出、今後の人生どっち?」って出題されたら、迷いもなく麦のほうに飛び込むと思います。

濱口 東出さんらしいなぁ。

東出 犬か猫かでいうと、自分は猫なんだろうなって思うんですよね。子どものころから妄想好きで、平和な学校生活を送っているのに、今テロリストに学校を占拠されたら、みたいなことはしょっちゅう考えていたので、日常が瓦解することへ、何か憧れはあるかもしれない。

濱口 もし相手に突然去って行かれたら、待ちますか?

東出 理由によると思います。

濱口 確かに理由によりますよね。自分が悪かったら反省し、悪くもないのに出て行かれたら、なぜなんだと、虚空に向かって問うしかない。

東出 映画では、麦はかなり突飛な理由で去っていきますからね。実人生では、そんなことしないだろうという信頼のもとに、人は相手を選ぶんじゃないでしょうか? 僕は映画のような恋愛や行動はしてないと思いますけど。

 急に去ると言えば、UFOが僕を迎えに来て、家族に向かって「やっぱり僕、宇宙人なんだ」と言っている絵を妻が描いたことがあったんです。それで、「僕ってそんなに宇宙人っぽい?」と聞いたら、「うん、宇宙人と言われたら納得する」と言われました。

濱口 宇宙人説、妙に納得できますね(笑)。

「震災のシーンは消せない」

 濱口監督は、東日本大震災の被害にあった人々へのインタビューから構成したドキュメンタリー映画を創り、高い評価を受けた。『寝ても覚めても』の中でも、震災は描かれ、その中で人々がどうつながって生きていくかも見つめている。

濱口 僕の中ではこの作品は、人を楽しませる、面白がらせるエンターテイメント作品であるという大前提があったので、震災のような大きな問題を扱いきれるのか、という思いが最初はありました。

 ただ、共同脚本の田中幸子さんが書いた脚本を読んで、震災のシーンは消せない、むしろ消すほうがおかしいという気になって。人々の恋愛や日常を描いているけど、その中で震災が起こり、それも含めて日常なので、描くことに決めたんです。

東出 僕は、東日本大震災が起こったときに海外にいて、実際には大変さを経験してなかったんですよ。それが、今回は撮影の中で、帰宅難民の列に参加する経験をして、ナマな感情が少しだけわかったというか。亮平が朝子を探し歩いてやっと見つけたときに、怒りが湧いてくる感情とか。

 災害があるときって、こんな感情になるんだなぁって。みんな本当は叫びたいし、怒りたい。行くあてのない怒りみたいな感情が好きな人の顔を見たり、ホッとしたときに出てくるんだなぁって、撮影を通して感じましたね。