ダウン症の子たちがくれた居場所

 ’02年の4月、横浜で、父と離婚していた母と暮らし始めた。

「毎日泣いている私を見て、母もこの子は大丈夫だろうかと心配していたようです。ほかに行く場所もなく、積み上げてきたものをゼロにする勇気もないままでいたんです」

 ちょうどそのとき、日本ダウン症協会からダウン症児のダンス発表会を見てほしい、と依頼がきた。全国5か所を月1で指導することになる。

「ダウン症の子が80人ほどいる中に1人で入るのが不安で。意思疎通は可能か? 暴力的な子はいないのか? すらわからずにスタートしました」

 最初に話をしたが、みなつまらなそうにしていたため、アンナさんはとりあえず自分が踊ってみせた。すると全員が一斉に踊りだしたという。

「普通、素人の子に自由に踊ってと言っても、絶対できないんです。どうしていいかわからないと。それなのに、あの子たちは座って見ててと言ったのに、私のことなど誰も見ずに好き勝手に踊り始めたんです!」

練習中、即興でラインダンスの体勢になる子どもたち

 アンナさんも1時間、夢中で踊り、汗だくになった。

「こんなに楽しく踊ったのは何年ぶりだろう!? って。私は“実績のある先生”として偉そうにしていながら、生徒たちより下手だったらどうしようと何年も踊れずにいたんです。下手でもみんなと一緒に汗をかくべきだったのに」

 レッスンのたびに子どもたちはアンナさんに抱きついてきた。そんな愛情表現も初めてだったアンナさんは、「みんなと離れたらすごく寂しい」と思うようになる。

 発表会前の最後のレッスンの日、保護者からもらった手紙にはこう書かれていた。

この子たちのダンスとも思えない踊りを先生がすごいと褒めてくれて、レッスンのたびに子どもたちの意思を聞いてくれ、叱(しか)ってくれて、認めてくれたことが本当にうれしかった。この子たちはほかでは受け入れてもらえないから、発表会が終わったらもうダンスはできないし、先生ともお別れしなければならないのがとても悲しい。先生が続けてくれることを願っています」

 ダンス指導者としての自信を失い、どう教えたらいいかもわからなくなっていた自分に、そのやり方がいいと言って、必要としてくれる人がいる……。

「タレント養成所の先生はいくらでもいるけど、この子たちの先生になりたい人が今いないんだとしたら、私がこれをやればいいんじゃないかと思ったんです」

 アンナさんは沖縄に飛び、父に辞意を伝えた。最初は驚いた父も、そういう事情なら応援すると言ってくれた。

「発表会の最後に、残りの人生をこの子たちと生きていくと決めて、アクターズスクールを辞めます! と言ったら、客席にいる親御さんたちがわーって泣いて、ステージへ駆け寄ってきて、先生ありがとうございます! と言いました。その瞬間、ああこれはもう絶対辞められない、と覚悟したんです」

「自由に踊ることを大切にしている」とアンナさん

 その年の10月、アンナさんはラブジャンクスを立ち上げた。集まった会員は100名を超えていた。

「レッスン初日に、私のやりたかったことはこれだ! と実感しました。生徒や親御さんたちがみな楽しそうに笑ってくれているのを見たら、これは頑張らなくてもずっと続けられるなと思いました」

 16年間、毎週、福島から片道3時間半かけてバスで通う吉村悠希さん(33)の母、真澄さん(61)は言う。

「正直、大変ですけど、息子の心の拠(よ)り所ですから。帰りのバスの中は必ずルンルンしているんです。私もそれを見て笑顔になれてね」

 中学2年の高井友花さんの母、智春さん(51)も、子どもたちが自分を解放できる場だと話す。

「ダウンの子は音楽が流れてくるといつでも踊っちゃうんです。走ってる車の音楽にも反応し道で踊っちゃったり。通学の際はさすがに我慢しているのですが、娘はここで弾けてます! アンナ先生は献身的にあちこち拠点をつくって。感謝しかしないですね」

 アンナさんは今後も全国に輪を広げて、いずれオールジャパンで日本武道館を目指したいと考えている。

「簡単にいくことではありませんが、今いるインストラクターたちのように信頼できる人と地域ごとに出会って、きちんとしたかたちでつなげていけたらと思っています」