1917(大正6)年に実と茂がトップ10に登場して以来、1965(昭和40)年まで、戦時中などの4回を除き、必ずどれかがランク入りし続けた。特に茂は、1951(昭和26)年から4連覇。

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「昭和30年くらいまでは慢性的な食糧難でした。いまや“豊作”なんて言葉は死語かもしれませんが、当時は豊作であるかどうかは死活問題でした」

 昭和30年代なかばには、日本人の多くが食べ物の心配をしないで暮らせるように。同時に収穫を表す名前も減少傾向に。

漫画やテレビの影響も

 1957(昭和32)年の女の子の1位は恵子。1946(昭和21)年に初めてトップ10入りし、1964(昭和39)年までキープ。その間、1位に8回輝いた。

「これも欠乏感の反映です。食糧難は解消され、高度経済成長期に入っていきますが、本当の意味での豊かさはなかった時代ですから」

 1957(昭和32)年の男の子の1位は誠。10年後の1967(昭和42)年、20年後の1977(昭和52)年でも1位だ。1949(昭和24)年からトップ10入りし始め、なんと1位を18回獲得。1984(昭和59)年までトップ10入りし続けた。

「この長い人気は、漫画『愛と誠』の影響もあるでしょう。1973(昭和48)年から連載が始まり、映画化やドラマ化もされました。大賀誠役を西城秀樹さんが演じ、大ヒットしました」

 1973(昭和48)年に初のトップ10入りをしたのは大輔。5回の2位ののち、1979(昭和54)年から8連覇を達成。

「早稲田実業高校から1983(昭和58)年にヤクルトに入団した荒木大輔さんの“大ちゃんフィーバー”は有名ですが、それ以前から大輔は人気上位の名前だったんですよ」

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 一方、女の子は1967(昭和42)年には由美、真由美、明美、直美と最後に美のつく名前が4つランクイン。1972(昭和47)年には、最後が子でも美でもない名前、美香が8位に初登場。翌年には香織、恵、美穂、美香の4つがランク入りし、“子&美離れ”が加速していく。

「男女ともに、昭和50年代のなかばは名づけの大・大・大ターニングポイント。ここを境に名前のバリエーションは10倍くらいに増えました。当時、名づけをした親が、子ども時代を過ごした時期がポイント。テレビの普及です」

 1959(昭和34)年、天皇陛下と美智子さまのご成婚パレード見たさに、テレビが一気に普及したのだ。その前年に東京タワーが完成、電波が遠くまで飛ばせるようになったことも大きい。

「それ以前の娯楽は、もっぱら本でした。テレビから映像と音を受け取りながら育った子が、親になって名づけをするとき、文字からではなく、まず音を決め、あとから漢字を当てはめるようになったんです