衝撃的な告白だった。2月12日、競泳女子の池江璃花子が白血病と診断されたことをツイッターで公表した。

「オーストラリアで合宿を行っていたところ、体調不良で緊急帰国。病院で検査して病名がわかりました。公表の2時間後に開かれた会見には、池江選手を指導する三木二郎コーチが出席。病院で“早く治してまた二郎さんと一緒に練習を頑張りたい”と言われたことを明かしました」(スポーツ紙記者)

 悲運に見舞われても前向きな池江に、世界中から応援の声が寄せられている。

「骨髄移植のドナー登録を行う日本骨髄バンクには、通常の50倍にあたる資料請求が寄せられているそうです。池江選手は声援に応えてSNSを更新。《乗り越えられない壁はない。必ず戻ってきます》と、改めてポジティブな姿勢を示しました」(前出・スポーツ紙記者)

中学2、3年時の担任は

 強い意志を持って、いつも明るく振る舞う池江をよく知るのが、中学2、3年時の担任教師だった上野義博先生だ。彼女が教室に入ってくると、クラスの空気がパッと明るくなったと話す。

休み時間にはいつも友人に囲まれて談笑していました。昼休みは校庭に出て、友人とバレーボールをすることも。友人を巻き込んで、楽しそうに過ごしていた姿が記憶にあります」(上野先生、以下同)

 上野先生が担当する国語の時間には、積極的に挙手をして授業を盛り上げた。

「2年生の後半からは合宿があったりして欠席が増えていきました。授業の内容についてはわからなくなることもあったと思いますが、素朴な疑問を口にしたりして授業に活気を与えてくれました。英語は、将来に生かせると思ったのでしょうか、前向きに取り組んでいましたね

 水泳の練習があるため、授業が終わるとすぐに学校を後にしていた。

「放課後は学校にいないので、教室では友人たちとなるべく一緒に過ごそうと決めていたんでしょう。彼女の周りにはいつも笑顔があふれていたように思います。登校してくると“リカコ~”と友人たちが寄っていきました

 学校生活では、競技のときとは違う表情を見せていた。

「水泳の顔がオンだとすれば、学校ではオフでした」

 上野先生が池江の“オン”になった顔を初めて見たのは、'14年に全国中学校水泳大会で優勝したときだった。

「水泳に打ち込んできたアスリートとしての顔の一面を初めて見た気がします。思い返すと、学校でも負けず嫌いな側面や内に秘めた熱い闘志を感じることもありました。給食のおかわりジャンケンひとつとっても負けたくない(笑)。勝負事には常に真っ向勝負していたように思います

 普段の学校生活は和やかでも人一倍、努力をしていることは伝わってきたという。

「水泳に関しては本当にストイックに取り組んでいたと思います。成果が記録として出るようになってきて、みんなの期待に応えたい思いもあったのでしょう。本当は身体を休ませたいと思っていたはずですが、学校に来られるときは来ようと頑張っていました。ただ、努力の様子をあまり感じさせないようにするのが彼女流でしたね」

 上野先生の記憶の中では、池江はいつも笑顔だった。

学校に来たときの楽しそうな顔、疲れていてちょっとウトウトしている授業中の顔、友人と談笑する顔、卒業式のときの顔、いろんな顔が思い浮かびます。その多くが“笑顔”だった印象です。その明るさに、ほかの生徒たちも影響されていたと思います。人を笑顔にするパワーみたいなものを持っていたのかもしれません

 彼女ならこの苦境を必ず乗り越えられると信じている。

「私が関わりを持てた誇れる生徒たちの1人です。これまでの頑張りに多くの人たちが勇気づけられてきました。今度は私たちが池江さんのために何ができるかを考えています。まずは、治療に専念してほしい。エールを送り続けたいと思います。また笑顔で会えるときを待っています」