『写真集 美しい刑務所 明治の名煉瓦建築 奈良少年刑務所』(西日本出版社)より庁舎
『写真集 美しい刑務所 明治の名煉瓦建築 奈良少年刑務所』(西日本出版社)より庁舎
【写真】詩と絵本の教室をささえた美しい刑務所

受刑者との授業

 驚くべきことに、授業は最初からいきなり効果を上げた。1時間目の教材は絵本『おおかみのこがはしってきて』(ロクリン社)だ。登場人物であるアイヌの父親と子ども役になってもらい、みんなの前で朗読してもらう。

 ひらがなばかりのやさしい本だが、彼らは緊張しきって必死で読む。終わると受講生から盛大な拍手が沸く。

 すると、その瞬間に変わるのだ。うろたえながらも照れくさそうに笑い、能面のような顔にふっと表情が生まれる。それまで交流不能としか思えなかった少年たちの間に、いきいきとした感情が流れだす。

 人から拍手などもらったことのない人生だったのだろうか。おまえはダメだと否定され続けてきたのかもしれない。その瞬間、きっと小さな自己肯定感が芽生えたのだ。

 そんな絵本の授業を経て、3時間目からは詩を書いてもらった。「どんなことを書いてもかまわないです。何も書くことがなかったら、好きな色について書いてきてね」と言ったら、こんな詩が提出された。授業では、まず作者自身に朗読してもらう。

 

 くも

 空が青いから白をえらんだのです”

 

 薬物依存の後遺症のあるAくんは、自分の詩をちゃんと読めない。うつむいて早口で言語不明瞭だ。悪いけど何度も読み直してもらった。ようやくみんなの耳に聞こえるように読めたとき、盛大な拍手が沸いた。

 すると、いつもは無口なAくんが、遠慮がちに手を挙げたのだ。

先生、ぼく、話したいことがあるんですが、いいですか

 自分からそんなことを言い出すなんて、それだけでも驚きだった。「どうぞ、どうぞ」とうながすと、どもりながらつっかえながら、こんなことを言ってくれた。

ぼくのおかあさんは今年で七回忌です。おかあさんは身体が弱かった。けれども、おとうさんはいつもおかあさんを殴っていました。おかあさんは、亡くなる前に病院でぼくにこう言ってくれました。『つらくなったら空を見てね。わたしはそこにいるから』。ぼく、おかあさんのことを思って、この詩を書きました

 胸が詰まった。たった1行の詩の向こう側に、こんなつらい思い出があったとは。

 すると、受講生から次々に手が挙がる。

ぼくは、Aくんはこの詩を書いただけで、親孝行やったと思います

Aくんのおかあさんは、きっと雲みたいに真っ白で清らかな人だったんじゃないかと思います

きっと雲みたいにふわふわでやわらかい、やさしい人だったと思います

 次々にあふれくる受講生たちの言葉。そのやさしいこと。まだ幼くておかあさんを助けてあげられなかったことを悔やんでいるAくんに、なんとやさしいことばをかけてくれるのだろうか。

 この子たちが、殺人などの恐ろしい罪を犯したなんて。なぜそんなことをしてしまったんだろう。そう思わずにはいられなかった。

 最初は奇跡だと思った。でも違った。固く閉ざしていた心の扉を開くと、あふれ出てくるのは例外なくやさしさだった。惜しげない、いたわりの気持ちだった。どんなに重い罪を犯した人間でも、心の中にあるのはやさしさなんだと思った。

 それを発揮できない心の傷があって、犯罪にまで追い詰められてしまうのだ。刑務所に入ったからと、いままでの自分を捨てて、新しく真人間に生まれ変わる必要なんかない。傷つく前の自分に戻ればいいだけなのだ。

 生まれたての心は誰もがまっさらで、やさしさに満ちているのだから。それが人間の本質なのだから。彼らは、わたしにそう思わせてくれた。

 そんなことが、次から次に起きる授業だった。この驚きをみんなに知ってもらいたいと二冊の詩集『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』 (新潮文庫)『世界はもっと美しくなる 奈良少年刑務所詩集』(ロクリン社)を出版した。

 しかし、詩は苦手、という人も多い。もっと読みやすい本を、という声に応えて、『あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』を書いた。

 足かけ10年で出会ったさまざまな少年のこと、教室で起きた奇跡のような出来事、わたしたち自身が癒され成長してきた軌跡。そして、わたしが体験した驚きを、この本のなかで、あなたにもぜひ体験してほしいと思う。

『あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』
寮美千子=著 西日本出版社 1000円(税抜)
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PROFILE
●りょう・みちこ●東京生まれ。 2005年の泉鏡花文学賞受賞を機に翌年、奈良に転居。2007年から奈良少年刑務所で、夫の松永洋介とともに「社会性涵養プログラム」の講師として詩の教室を担当。その成果を『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』(新潮文庫)と、続編『世界はもっと美しくなる 奈良少年刑務所詩集』(ロクリン社)として上梓。『写真集 美しい刑務所 明治の名煉瓦建築 奈良少年刑務所』(西日本出版社)の編集と文を担当。