山下「皇太子ご夫妻のご結婚直後の地方へのお出ましには、ほとんど毎回、2名のカメラマンが同行していました。

 事前に撮影場所や人数を宮内庁に通知して、テレビや新聞のカメラマンがいる中で、現場に集合してから抽選でカメラ位置を決めることが多かったですね。

 このころには指定された場所以外での撮影はできず、声かけもできないので運が左右することもあります」

今井「撮影位置による運、不運はありますよね。沖縄の火炎瓶事件のときは、私たち雑誌のカメラマンは取材位置が後方だったので、炎が巻き起こったのは見えたのですが、決定的瞬間は押さえられませんでした」

山下「そういう意味で私が最も印象に残っている1枚は、皇太子ご夫妻が平成5年に徳島県の全国身体障害者スポーツ大会に行かれたときです。

 阿波浄瑠璃の木偶人形を視察される公務で、私は抽選でカメラ位置のいちばん隅を引いてしまい内心、最悪だなと思っていました。

 ところが、ご夫妻は私の位置の目の前で、人形を操られたので、こんなこともあるものだとよく覚えています」(写真⑨)

写真⑨思わぬ撮影位置から〝奇跡〟が起きた。平成5(1993)年11月5日
写真⑨思わぬ撮影位置から〝奇跡〟が起きた。平成5(1993)年11月5日
美智子さま珠玉の名シーンと憧れのファッションの数々

小島「私がよく覚えているのは、美智子さまが全国豊かな海づくり大会で愛媛県を訪問されたときですね(写真⑩)。

 前の月のお誕生日に、月刊誌や週刊誌のバッシング報道が原因だったのか、お倒れになった美智子さまは、一時的に声を失っている状態でした。

 そんな中、声を取り戻されるかもしれないと同行しました。現場では、居合わせた女性たちが病状を心配して、“美智子さま頑張って~”と声をかけたり、かなり熱気を帯びていたのを覚えています。

写真⑩声を失われながらも海に祈りを。平成5(1993)年11月7日
写真⑩声を失われながらも海に祈りを。平成5(1993)年11月7日

 声を回復されたのは、しばらくしてからでしたが、美智子さまを心配する人たちが多く、その注目ぶりはやはりすごいのだなと思いました。

 退位後は、お出ましを控えるという話も聞きますが、上皇后としてまた違う一面の美智子さまを拝見したいですね」

松本徳彦(まつもと・のりひこ)◎昭和11(1936)年生まれ、83歳。昭和32(1957)年、主婦と生活社入社。著書に『越路吹雪』(淡交社)など。日本写真家協会副会長

今井隆一(いまい・りゅういち)◎昭和16(1941)年生まれ、78歳。昭和40(1965)年、主婦と生活社入社。第17回NHK関東甲信越地域放送文化賞受賞

山下芳彦(やました・よしひこ)◎昭和17(1942)年生まれ、77歳。昭和40(1965)年、主婦と生活社入社。著書に『写真集高田好胤』

小島愛一郎(こじま・あいいちろう)◎昭和19(1944)年生まれ、75歳。昭和45(1970)年、主婦と生活社入社。市川写真家協会会員