用意した一脚50万円の椅子

 それから74年後の同じ5月26日、トランプが国技館へやって来た。なんたる因縁だろう。日付を知って、私は「あああああ」と声に出してため息をついた。

 74年前は物理的に相撲が破壊され、そして今回は精神的に相撲が破壊されたように私は感じている。

 相撲が政治に利用されることはこれまでにも多々あった。そもそも日本の大相撲の始まりは平安時代の「相撲節(すまいのせち)」という宮中の行事にあり、それは全国から強い人を集めて相撲を取らせ、税にかえて中央に人を召し抱えた。相撲節は中央集権時代の象徴。地方に天皇の力を見せつけ知らしめるために行われていたのだ。

 そう考えていくと、今回のように大相撲が政治に利用されるのはいたしかたない? 

 しかし宮中で相撲はいかに雅(みやび)に美しく成り立たせようかと配慮されたように、これまでどんなに政治利用しても大相撲の美を壊そうということはなかった。

 文明開化の明治時代、大相撲は「裸で髷(まげ)なんてとんでもない」と不人気になって絶滅の危機にあった。そのとき逆にその姿、大相撲の文化をそのままにして天覧相撲を開き、翌年には日本初の首相の地位を射止めた伊藤博文もいた。たとえ政治に利用しても、そこで大相撲の文化を貶(おとし)めるようなことは誰もしなかった。

 でも、今回は違った。やって来たのは世界に分断をもたらせ、排外主義であからさまに移民や女性を差別し、世界を訪問するたびに“帰れデモ”が起こる大統領だ。

 その大統領のために、土俵に安っぽい合板の階段がかけられた。美しい土俵にあんな安っぽい合板の階段なんて! たった2~3段だろう? 今まで土俵に階段なんて使ったことがない。杖(つえ)をつくような方が土俵に上がるときには呼び出しさんらが介助をして上がる。

 トランプはべつだん足が悪そうには見えない。だいたい、国技館に来る前にはゴルフを楽しんだというじゃないか。それなのに、彼のためにあの階段? 

 場所中の土俵には神さまがいると長い間言われてきた。そうでなくても、場所中の土俵はチカラビトたちが命がけで闘う特別な場所だ。そこへあんな醜悪な階段をかけるなんて!

 トランプと安倍首相が夫人とともに入ってくる通路に赤いじゅうたんを敷き、拍手で迎えさせた場面なんて、まるでプロレスの入場風景だった。プロレスが悪いと言ってるのではない。大相撲にそぐわない、と言っているのだ。あんな仰々しい入場は大相撲が培ってきた文化ではないだろう。

 マス席に4人のために置いたイスは1脚50万円、4脚で200万円だという。トランプはそこにつまらなそうな顔で座り、腕を組み、拍手もろくにしていない。彼が笑顔になったのは、自分が優勝した朝乃山にトロフィー渡したときだけ。

 自己顕示欲丸出しに嬉々(きき)とする子どものようだ。アメリカに住む人が、トランプはいつもああだ、自分の興味のないことには興味のあるふうに装うことも一切しないと言っていたが、本当にそうだ。なんてバカにしているんだろう。