神事と興行が破壊された

 テレビの中継にはそれらを拍手で迎える相撲ファンの姿ばかり映っていたが、会場にいた友人によると、4人が入場の際には「立ち上がるな」「座れ」「相撲を見に来たんだろ!」「帰れ!」と怒鳴るファンもけっこうな数がいたそうだ。

 そうした相撲ファンの声はかき消されたが、その声があったと聞いて安心した。あの際、5分ほども土俵の脇で待たされた朝乃山と御嶽海は、相当に集中力を保つのが難しかったろう。実際、御嶽海はそのことに後で言及していた。

 また国技館前では、これまでも長年にわたってレイシストによるヘイトスピーチにカウンターをかけてきた人たちが、アンチ・トランプのバナーを掲げて沈黙の抗議を決行。

 しかし、これは瞬く間に警察に連行されてしまい、そのさまはアメリカのテレビ局が伝えた。レイシストへの強い抗議、それはヘイト・クライムを防ぐためにとても大切であることは、この何年も言われてきた。無言でいることはヘイトスピーチに加担することもナチス・ドイツから人類が学んできた。

 国技館入り口では観客も持参のペットボトルなどすべて没収され、紙カップの飲み物さえも『その場で飲んで中身を示せ』と言われる始末。荷物チェックもあって長蛇の列となり、季節はずれの暑さの中、入場までに時間がかかって、検査する係員の方々もまたたいへんな疲労をしたという。

 またそのチェックは力士や行司さん、呼出しさん、床山さん、また報道されたように「湯呑みや急須も使えない」お茶屋さんといった全員に及んだ。国技館の裏側では、私物は全部持ち帰ってくださいの紙が貼られ、床山さんのハサミまでもチェックされたりと、場所中のいちばんたいへんな千秋楽は大混乱になったそうだ。

 大切に守られてきた大相撲の文化に、しかも最も大切な千秋楽にこんなふうに急にどかどかと踏みこんでくる、一体なんなんだろう?

 国賓だからしかたない? 昔、フランスのシラク元大統領やイギリスのチャールズ皇太子とダイアナ皇太子妃は2階席で見て、そんな混乱はなかったと聞く。そもそもトランプは相撲が好きだ、見たい、と自分で言ったのではなく、安倍首相側がどうやってトランプを歓待するかを考えてのあれこれだったと新聞各紙が報じている。

 よもや自国の首相によって相撲文化がこのように荒されるとは、思ってもみなかった。その見返りに何かよほどいいことがあるのかと思いきや、スイスでは国民投票で決められるという「5月に青森沖に墜落していまだに操縦していた自衛官も不明なままで、事故原因も解明されていない戦闘機F35」を6兆円もの税金で購入することが両者の会談だけで決まってしまったと報道されている。さらに選挙後に農業分野で大幅な譲歩をするというではないか。豊作を願って神事としての相撲が育ったのだ。相撲の根本が侵されるなんて!

 いろいろなことが日々起こって、相撲のことはもう過去のことだ。すっかり忘れられている。しかし神事であり興行でありスポーツである大相撲のさまざまな部分が侵害されたことを忘れたくない。

 土俵は荒され、お客さんは迷惑した。神事と興行が破壊された。暑さでお年寄りなどは相当に体力を消耗したと聞く。力士だって待たされ、花道へのペットボトル持ち入れ禁止などで、それぞれが集中力を保つのが難しく、スポーツも荒された。ヘタをすれば健康への被害だってありえた。

 これまで大切にしてきた相撲文化が侵された日。令和元年5月26日。後々の相撲ファンのためにも記しておきたい。もう、2度とこういうことがないために。


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。