「家族終了」宣言

 自虐とユーモアを交えながら「30代・独身・子ナシ」女性の実態を描いた作家・酒井順子さんも、「子どものいない人生」を歩んできたひとり。『負け犬の遠吠え』から16年、酒井さんは両親が他界し、かねてより病気療養中だった兄を亡くしたことで、生まれ育った家族が全員いなくなった。

「自分が生まれ育った家族のことを『生育家族』、結婚などでつくった家族を『創設家族』というそうですが、私以外の生育家族のメンバーがすべていなくなりました。私は同居人(男性)はいるものの婚姻関係は結んでおらず、子どももいないので家族終了の感、強し……という状況です」

 自著のタイトルどおり、「家族終了」を宣言した酒井さん。

 生育家族がいなくなり、自身が創設家族をもたないということは、家族の記憶が絶たれるということ。しかし、それを悲しく寂しい、あるいは無念かと問うと「別にそうでもない」と話す。

「そうなってしまったのは、もうしかたがない。名家であるわけでもなければ、特殊な技能や看板を受け継ぐ家でもないので、消えていっても特に大きな影響もないだろうな、と。いま日本ではこんな感覚を持つ人が少なからぬ数で存在していると思います」(酒井さん、以下同)

 家族の記憶が消えていくことにさほど「痛がゆさ」を覚えない。そんな人間がたくさんいるから、日本の人口は減っていくのでは? 

 と分析する。

「家族は、いて当たり前ではない、と痛感しています。生育家族はやがて老い、そして死んでいく。新しい家族をつくるには、自力で結婚・出産・子育てをしなくてはならず、そのどれもがなんとなく生きていては不可能なこと」

 女は結婚すべき、結婚したら子どもを持つべき、家族は支え合って生きるべき……。そんな従来型のカタチに縛られるのを嫌い、また、それなしで生きられることを理解する人は増えた。その一方で、若い世代を中心に揺り戻しもある。

「従来型の家族像もまた見直されていますね。今の若者は“若いうちに結婚したい”という願望を持つ人も多いし、最近の家族の仲よしぶりは、私の子ども時代とは比べようもありません。

 家族についての感覚は、従来型のきつい枠を嫌う人が逸脱すればするほど、枠の中にいる人たちは、枠に守られている感覚を強める。大きく二極化してきていると感じます」

 酒井さんには10年以上、暮らす男性の同居人がいるものの入籍はしていない。

「『負け犬の遠吠え』のころから一貫して言い続けているのは、法律婚をするかどうかは別として、一緒に生活する誰かはいたほうがいいのでは? ということ。私の場合、なんとなくこうなっていた、としか言いようがないですが、それでも理由を探すならば“私は結婚しているまっとうな人間です”という『名』よりも、“誰かとラクに同居する”という『実』を取った生活なのかもしれません」