しかし、診断結果は同じだった。別所さんは裏辻医師に運命を託す。2度目の手術は'91年1月。前回以上の輸血が必要となり、86人から血液を募って、ドクター20人態勢で34時間がかりの大手術が行われた。1度は心臓が止まる危機にも瀕したが、強い生命力を発揮し、持ちこたえた。

神戸労災病院で主治医の裏辻雅章医師と
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いっそ死んでしまいたい

 勇人さんはこの日のことを克明に記憶している。

「“子どもらもおるし、このまま別所さんを亡くならせるわけにはいかないと思って、必死に頑張りました”と手術室から出てきた先生に言われて、心から感謝の気持ちが湧いてきましたね。裏辻先生に出会えたのが母の幸運。僕らも力づけられました」

 一命はとりとめたものの、社会復帰にはとてつもなく長い時間を要した。入院期間は1度目よりはるかに長い10か月。退院後も「歩けない」という厳しい現実を前に、気持ちは暗く沈んだままだった。

「“車イスでどうやって生きていけばええんやろ”と途方に暮れました。息子たちもまだ20歳そこそこ。“主人が生きていてくれたら”とこのときほど思ったことはありません。車イスに乗った人間を憐れむ周囲の目線が嫌で、夜中に松葉杖で歩く練習もしたけど、うまくいかない。いっそ死んでしまいたいとさえ考えたこともありましたね

 絶望の淵に立たされた別所さんを救ったのが椿野利恵さんだ。

 同じ職場で働いたことがあり、夫の生前から付き合いのあった親友は、毎日のように家に通って懸命に励ました。「できないことを嘆くより、できたことを喜べばいいのよ」そう伝え続けたという。

「最初は車イス生活を受け入れられずにつらかったんだと思います。子どもたちにも泣き言は言えない。私は“近くで見守っているお姉さん”的な存在で、弱音を吐くことができたのかもしれません。苦しむ別所さんを目の当たりにして、少しでも前向きになってほしいと思いました」

 椿野さんの言葉はスッと心に入ってきた。車イス生活になった今、できないことはたくさんあるけど、新たな人生を積み上げていけばいいのだ。「大きなターニングポイントになった」という別所さんはようやく一歩を踏み出した。