熱い信念を持ち、周囲を上手に巻き込んでいく。その気質はオリエンタルランドの新入社員だったころから発揮されていた。当時、同社で1年下の後輩だった田村圭司さんが語る。

「大住さんは、入社直後に『ITP』というウォルト・ディズニーの思想を学ぶ勉強会を主宰されていました。当時から目立った人で、中にはやっかむ人もいたようです」

 大住の入社はバブル経済がピークだった'90年。100名以上の新入社員の代表として挨拶した。入社直後にはディズニーの思想に共鳴し、同期や先輩に呼びかけてこの組織をつくった。イット・テイクス・ピープル=すべては人間から始まる。大住は働きながら、「ギブ・ハピネス=幸せを与える」を理念とするディズニーの思想を貪欲に学んでいった。

「ミッキーに会いたい」難病の子どもたちの夢

 だが高校、大学時代は、決して優等生だったわけではない。大住はサッカー選手を夢見ていたが、大学入学直後のケガを言い訳にして現役を諦めた経緯がある。そこからは本人曰く、「遅ればせながらグレた」。大学にはほとんど行かずに日雇い仕事など50以上のアルバイトを経験、20か国以上をバックパッカーとして旅した。日本では、アルバイトで出会ったおじちゃんたちに酒場で可愛がられる日々。

 そのころから派手な行動をとる質だったが、何をやってもいまひとつ満足できない。

 そんな若者が、就職時にディズニーランドという「舞台」を得たことで生まれ変わった。

 大住は約20年、現場の清掃担当や経営企画などを担当して着実に業績をあげていく。

 入社10年目のこと。NHKスペシャルで、アメリカのヘンリー・ランドワースという男性が難病の子どもをディズニーランドに招待する『ギブ・キッズ・ザ・ワールド』というボランティア組織を立ち上げ活動していることを知る。調べてみると、日本にも約20万人の難病の子どもがいる。その約半数の願いは「ミッキーに会いたい」だと知った。ならば日本でもこの活動をやるべきではないか。熱い男、大住は行動に出た。37歳のとき、フロリダ出張の折にヘンリーに会いに行く。

 ヘンリーはユダヤ人だった。少年時代にナチスの収容所に入れられ終戦後、身体ひとつでアメリカに渡り、ホテルのドアマンから「ホテル王」に上り詰める。だがある日、「難病の息子が亡くなりました。予約はキャンセルしてください」という電話を受ける。難病で闘う子どもの気持ちは、収容所時代の自分の不安と一緒だ。そう思ったヘンリーはホテルを売却し、団体を立ち上げる。

 面会の日、ヘンリーは「活動の理念はギブ・アンド・ギブだ」と言った。大住は「いやおかしい。ギブ・アンド・テイクだろう」と反論する。

 するとヘンリーは言った。

「ギブ・アンド・テイクはメイク・ア・リビング=暮らすことだ。でもギブ・アンド・ギブはメイク・ユア・ライフ=生きることだ。暮らすことと生きること。お前ならどっちを選ぶ?」

 その言葉に、大住は胸を打たれ、涙したという。