東海林のり子だから話した

 1970年、東海林さんが最初にリポーターを務めたのは、主婦のための元祖ワイドショー『3時のあなた』(フジテレビ系)だった。森光子ら女優やタレントがメイン司会を務め、個性派のリポーター陣が芸能や事件などの情報を伝えた。やがて他局でも同様の番組が始まり、各局競い合う取材合戦が始まる。

「梨元勝さんは動きが速かったですね! リポーターの中には“オンエア時間が後だから、ネタを取ってる!”なんて怒る人もいました(笑)。絶対このネタわからないだろうなと思っていても、無線で情報を拾われて、後ろから他局がついてきたなんてこともありましたね」

『おはよう!ナイスデイ』スタジオで現場の様子を説明する東海林さん
『おはよう!ナイスデイ』スタジオで現場の様子を説明する東海林さん
【写真】交流のあったX JAPANのhideさんと思い出のツーショットほか

 東海林さんはどんな現場にもすぐ駆けつけられるようにと、常に黒っぽい服を着て出かけていたという。

大きな事件があると誰にも行かせたくないと思っていました。携帯電話がなかった時代、ポケベルで呼び出しがかかるんですが、男性リポーターにいくら連絡しても電源を切っててつながらないなんてことがありました。私はいつもキャッチできるように肌身離さず持っていましたね。

 今の情報番組は視聴者の投稿から情報を得たりもしているようですが、あのころはリポーターがいち早く現場に入らなきゃという感じだったんです」

 そんな中、視聴者や身近な人からも「大変な現場でよく人にマイクを突きつけられますね」という批判も浴びた。

「リポーターはズカズカどこへでも上がり込んでマイクを向けるというイメージが定着していましたね。拒否される場合はしかたないですが、説明して話してくれる人があれば、きちんと伝えようと思いました。

 例えば犯人に対する憎しみなど心にあるものを事実として残すことで、人の気持ちや世論に訴えかけたり、裁判がいい方向に動いたり、影響することがあると思っていました。苦しいときだからこそ口に出して、それをも力にしてほしいと思っていました

 東海林さんが出演したフジテレビ系のワイドショーで番組ディレクターを務め、ともに事件取材をした共同テレビのプロデューサー・松本雄峰さん(58)が振り返る。

「東海林さんは取材するとき、相手の心に寄り添う気持ちというのを絶対に持っていたから、人から信頼されたし、東海林さんだからこそ聴けた言葉があったと思っています。

 何も手がかりがなかった子どもの誘拐事件で、連れ去られるのを見たという市の職員に“お子さんの発見のためには目撃証言を出すしかないから”と東海林さんが粘り強く交渉し、顔や声を出さずに証言してもらったことがありました

 その後、事件が急展開し、遺体が発見され、犯人も逮捕されたという。

 現在、情報番組が高視聴率で、各局の看板番組になっているが、その昔ワイドショーといわれたころは、報道やドラマといったジャンルより下に見られ、“鬼っ子”的な存在だったと松本さんは話す。

「局内でも“なんだ、アイツはワイドショーかよ”みたいな扱いがあった。でも東海林さんは1度としてワイドショーを卑下したりすることはなくて、真摯に物事を伝えることだけに邁進していたんです。そんな姿勢を誰もが認めていたから、現場へ行けば警視庁記者クラブの人たちが“東海林さん、何かわかりましたか?”なんて聞きに来たし、ドライバーや裏方のスタッフからも慕われていました

 街では女子高生からも“東海林さん、東海林さん”と声をかけられた。ワイドショーの支持層を広めた功績は大きいと話す。

「東海林さんは鬼っ子だったワイドショーにおいて、誇りを持ってリポーターという役割を確立したパイオニアだと思っています」