家族写真。6歳の東海林さん(左端)、後ろが父、真ん中に座るのが母、右端が姉。親戚と大家族で住んでいた

野際陽子さんとは大学時代からの親友

 '34(昭和9)年、埼玉県浦和市で4人姉妹の末っ子として生まれる。先祖は岩槻の藩主。曽祖父の代に廃藩置県で浦和に移り住み、商家となったという。

 東海林さんの幼少時、長男だった父を中心に祖父母や叔父、親戚の書生、姉妹に1人ずつついた女中らと大家族で暮らしていた。

 浦和駅から中山道まで続く商店街を東海林さんは夕方になると浴衣姿で歌って踊って練り歩き、店の人たちに声をかけてもらっては喜んでいるような子どもだった。

「たぶん家の中には面倒なこともあったと思うんですが、姉たちがカバーしてくれていて、末っ子の私はそれに気づかずに大きくなったんです。

 根本的にあまりくよくよせず、人を楽しませるのが好きな性格の土台はできたんですが、あのままではダメなお母さんになっていたと思います。仕事をしたことで世の中をいっぱい見ることになり、ようやく社会性を学んだんです

 浦和第一女子高等学校を卒業後、立教大学英米文学科に進学。ESSサークルに入って、英語劇に力を注いだ。1年後輩でのちに女優となる野際陽子とは“のぎ”“のっこ”と呼び合う仲だった。

立教大学4年のとき、1年後輩だった親友、野際陽子(右)と

 だが、2年前にその親友も失った。

「病気と聞いていたので事務所に電話したんですが通じずに、そのままになってしまったのは心残りです。ただ本人が偲ぶ会とかもやらないでという方針だったと思うんで、それはそれで潔くて野際陽子らしいと思っています」

 '53年、大学を卒業すると超難関といわれるアナウンサー試験を突破し、ニッポン放送に入社する。

「研修では先輩から怒られてばかりでした。辞めようかとも思ったんですが、どうせいちばんじゃないなら後ろからついていけばいいかと思ったら気が楽になったんです」

 インタビュー番組でディスクジョッキーを任されるなど、次第に仕事が面白くなっていった。

「上手な女性たちがどんどん寿退社していくので、これってラッキーなのかしら? と。それならしばらく続けようと思いました」

 26歳のとき、大学の3年後輩だった誠さんと結婚する。

「4年のとき入部してきた1年生で、ESSで教えていた後輩なんです。ほかに好きな人がいたんですけど結局、夫でよかったかな(笑)」

 誠さんは大学卒業後の1年間にセールスマンとして稼いだ元手で株を買い、その売却益で結婚資金をつくってくれた。3年ほどして長男も授かる。東海林さんは家政婦に子どもを預けて仕事を続けた。