1970年代「YOU、やっちゃいなよ」で育てられていた郷ひろみ

 続けてご紹介するのは、郷ひろみさんの記憶。もう知らない世代もかなり多くなってきているかもしれませんが、郷さんはかつてジャニーさんに才能を見いだされる形で、1972年にジャニーズ事務所のソロタレントとして芸能界デビューしています。

 そんな郷さんは自著の中で、かつて「ジャニーさんのタレントの育て方」について触れていました。

《信じられないけれど、ぼくはダンスでもボーカルでも演技でも、レッスンらしいレッスンなんて受けたことはない。あそこはこうやれ、ここはこうと、ジャニーさんからステージングなんか教えられた。フォーリーブスからも教わった。でも、それは楽屋とかステージの袖とかで、コチョコチョてなもん。それでステージにポーンと出ちゃうわけ。徹底した現場主義。理論よりも実践。仕事するなかで、いろいろなことをマスターしていくわけ》(小学館『たったひとり』郷ひろみ:著)

 初代ジャニーズやフォーリーブスのころまでは、タレントにアメリカへの本格的なレッスン留学などもさせていたジャニーさん。しかし1960年代後半のグループ・サウンズブームで、大衆がより刹那的な熱狂を求めるようになった影響か、1970年代に所属タレントとなった郷ひろみさんには一貫して「実践主義」で接していたようです。

 ちなみにこの前段には、《渋谷のジャニーズ事務所へ挨拶に行ったその日の夜、北海道旭川のフォーリーブスショーでいきなり舞台にあげられていた》という驚愕(きょうがく)の実話もあります。今になって思えばこの郷ひろみさんのころからが、その後のジャニーズ事務所を大きく育てるジャニーさんの金言「YOU、やっちゃいなよ」の始まりだったのかもしれません。

田原俊彦が語る「第二の父親」ジャニーさんとの思い出

 1976年にジャニーズ入りし、ソロアイドルとして大成功を収めた田原俊彦さん。事務所を辞めた後もことあるごとに、彼はジャニーさんへ感謝の意を表しています。それはまだ彼がレッスン生だった高校生のころ、ジャニーさんがこんなふうに接してくれていた記憶が大きいのだそう。

田原俊彦
田原俊彦

《レッスンが終わって一人だけ(自宅のある)遠く離れた甲府へ帰っていく僕を、ジャニーさんはいつも新宿駅のホームまで送ってくれて、電車が発車するまで必ず見送ってくれたことが印象深い。ジャニーさんが僕を一人で帰したことは一度もない。片道二時間以上もかかるから、きっと心配してくれていたのだと思う》(KKロングセラーズ『職業=田原俊彦田原俊彦:著)

 田原さんは幼いころに実父を亡くしており、一日でも早く自立するための方法として、ジャニーズ事務所からのデビューを目指していました。ジャニーさんが芸事には厳しい一方で、それ以外では自分たちと一緒になって遊んでくれたり、温かいご飯を食べさせてくれていたことも、田原さんはかけがえのない記憶として、著書の中でひとつひとつ振り返っています。

《合宿所での僕たちの前では、いつも落ち切らないオヤジギャグを連発していた。そうした意外な部分があることもつけ加えておきたい》(KKロングセラーズ『職業=田原俊彦田原俊彦:著)

 実際にジャニーさんの緊急搬送が報じられた今年の7月にも、田原さんは報道陣に対して「僕にとっては大切な“第二の親父”です」と、何ら変わらぬ愛情でジャニーさんのことを表現していました。