元SMAP稲垣吾郎が「いちばん怒られた」その理由とは

 そしてジャニーさんによって選抜され、のちに日本の芸能史に名を残すことになったアイドルグループ・SMAPのメンバーも、もちろんこれまでにジャニーさんとの思い出をたくさん語ってきています。

 しかし興味深いのは、SMAPのメンバーが話すジャニーさんの思い出は、その多くが「怒られた」エピソードであること。

 つい先日も、ジャニーさんの思い出を聞かれた稲垣吾郎さんが「グループの中でもいちばん怒られた」と語っていましたが、そもそもなぜ稲垣さんはジャニーさんによく怒られていたのか。それをかつて、SMAP自身がテレビで細かく語り合っていたことがありました。

中居「6人で(テレビに)初めて出たのが、『いつみ・加トちゃんのWA-っと集まれ!!』」

木村「あれは芸能人とは言えないね。団地の小僧だね」

中居「吾郎はほんっと目立ちたがり屋だったね」

稲垣「テレビに映りたいじゃん。とりあえずさぁ、出れるんだから。映っちゃえって感じで」

中居「俺覚えてる、ダンプ松本とさ、ピンクトントンっていたじゃん。あれがスタジオでさ、歌ってたんだよ。吾郎うしろでさ、2人が歌ってる間(ひどくおどけたポーズ)こうやってるの。そんでジャニーさんにエラい怒られて。『ちゃんと手拍子とかしろ!!人の作品をぶち壊すな!!』」

稲垣「”お母さん見てる?”のレベルだよね」

(95年4月18日フジテレビ『SMAPのがんばりましょう』より)

 そもそもジャニーズ事務所への履歴書も姉が送っていたりと、入所時はプロ意識が全くなく、ただ楽しいだけで芸能生活を送っていた様子の稲垣少年。しかし面白いのは、このジャニーさんの叱咤(しった)が逆に、意外なところでその後の稲垣さんの芸能人生とつながっていったところです。

「芸能界に入って朝ドラデビューしたんですけど、そのときお母さん役のいしだあゆみさんに、“オンエア見たけどすごくよかった。お芝居もすごくよかった”と言われて。(略)自信も何もなかったのに急に抜擢されちゃって。グループにいても、踊りも歌もそんなに褒められることもなかったし、ジャニーさんに褒められるわけでもないし。それを共演者であるお母さん役のいしだあゆみさんに褒められて、“あっ、オレ、お芝居イケるんだ!”って思って。(略)そこで自信を持ったんですよ」
(12年10月11日 文化放送『稲垣吾郎のSTOP THE SMAP』)

 ……このように、1度、ひも解けば彼らの中からも変わりなくあふれてくるジャニーさんとの思い出。たとえ現役のジャニーズタレントではなくなったとしても、退所組の多くがその後も芸能活動を“天職”としているのを見ると、その原点にいてくれたジャニーさんに対して、彼らが特別な感情を抱き続けているのはごく自然なことではないかと思います。

 9月4日の『お別れの会』に参列する人も、参列できない人も、きっとジャニーさんへの思いは同じのはず。

 ファンや視聴者として見守る私たちも、その“記憶”だけは、ずっと忘れずにいたいものです。


乗田綾子(のりた・あやこ)◎フリーライター。1983年生まれ。神奈川県横浜市出身、15歳から北海道に移住。筆名・小娘で、2012年にブログ『小娘のつれづれ』をスタートし、アイドルや音楽を中心に執筆。現在はフリーライターとして著書『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)を出版しているほか、雑誌『月刊エンタメ』『EX大衆』『CDジャーナル』などでも執筆。Twitter/ @drifter_2181