千代の富士の髪は多かった

 さて、数多くの関取の髷を結ってきた床蜂さんが、床山として手こずった関取といえば横綱千代の富士が筆頭にあがるという。

 当時、高島部屋にいた晃山(こうざん)という十両力士の髷をやっていたとき、千代の富士が晃山と親しく、床蜂さんに「兄弟子は何年ぐらいに入ったの?」と気さくに話しかけてきた。年功序列の相撲界、たとえ横綱でも相手が年長者なら、兄弟子になる。

「それで、じゃ、自分の頭やってよと言われてね。でも、やった瞬間に体験したことのないような……ものすごく毛が太くて多くて、とてもじゃないけどうまくできない。しんどくなって油を多めにつけちゃったら、次の日に元結(髪を縛る和紙でできた細い紐)を締めた跡が消えなくて往生しました。千代の富士は『なまくら(注:なまけること)決めるからだよ』ってすっかり見透かしててね」

千代の富士
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 床蜂さんには苦い思い出だが、千代の富士とは2016年に亡くなるまで気軽になんでも話ができた。千代の富士と床蜂さんの遠慮のない、信頼関係がうかがえる。

「けっこうおしゃべりな人でね。自分も言いたいこと、言ってたなぁ。一度、千代の
富士の後援会の方から熊本での横綱土俵入りに呼ばれて、その帰りにバスで九重部屋の
前に着いて『おつかれさま』と言ったのに、千代の富士が無視してスタスタと降りて
 いくから『なんだぁ、挨拶もしないのか?』と大きな声で言うと、戻ってきて『おつ
かれさま!』って笑って言ってきたり。部屋の力士たちには『兄弟子(注・床蜂さんの
こと)ぐらいですよ、うちのオヤジにそんなこと言えるのは』と驚かれました」

 現在は歌手として活躍する増位山も、床蜂さんを床山として慕ってくれたひとり。

「宮城野部屋の章は元結締めるのが本当にうまいんだな。あんなにしっかり締まってるのはないよ」と言ってくれ、ずっと増位山の髷も結っていたそうだ。

 頭をやる間、おしゃべりしたりもするんですか? と尋ねたら「昔の支度部屋は今よりもっとみんなしゃべってリラックスしてた」そう。

 ある場所で、逆鉾(現・井筒親方)が7勝7敗で千秋楽を迎えていた。床蜂さんは髷を結いながら逆鉾といろいろな話をしていた。大銀杏ができあがったころ、逆鉾が「章さんのおかげで気持ちがスッキリできた」と言って支度部屋を出ていったという。

「それで勝って、三賞を受賞したんですよ。そしたらバ~って走ってきて『章さんのおかげで勝てた!』って握手してきて。彼は喜びを全面に出す人なんです」

 ちなみに大銀杏を結うのは30分かかるそうだ。床蜂さんの大銀杏がほかの人とは違うのは、深く髪を梳(す)くこと。櫛(くし)の入りが浅いと大銀杏が浮いてしまい、見た目はきれいでも、すぐに乱れる。

 手順はこうだ。

 まず、髪をよく揉み込み、びんづけ油をつけ、毛先までよく櫛を通す。元結で髷の根元をくくり、その端を歯でぐっと噛んで縛る。それから髷を作り、千枚通しのような髷棒で土台の髪を広げ、髷を銀杏型に整える。

 文字にすればわずか数行だが、最後まで床蜂さんは「15日間の本場所中、満足に結えるのは2~3日だけ。だいたい初日から5日目ぐらいまでは満足できない」ことが多かったという。

 大相撲の力士にとって髷は力士である証(あかし)。引退するときにはその髷を落とす。髷は命のようなもので、それを結う床山は、力士たちが戦うための命を吹き込む、最も近しく、かけがえのない存在なのだ。

《続編「相撲界“影の職人”床山さんが語る32年前の秘話、双羽黒の髷を結って減俸の過去」へと続く》


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。