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「今でいう発達障害児だった」

 自分がこうと思った理想のタオルをピュアに追求し続けてきた池内さん。どんな子どもだったのだろうか。

「今でいう発達障害でした。親が“行きたくないなら行かなくていいよ”という感じだったので幼稚園も1日しか行っていないし、小学校にあがったとき自分の名前が書けなかったのは僕だけ。よく、“あのころ、発達障害って言葉がなくてよかったね”と言われます。親衛隊の女の子が5、6人いて、よく助けてもらいました。僕は歌も歌えなかったんですけど、歌っていないのがバレないよう隣に来て大声で歌ってくれたりして」

 池内さんが愛媛県今治市に生まれたのは1949年。親から独立してタオル工場を立ち上げた父と理容師の母、「出来る子」と評判の2学年上の兄との4人家族だ。

「そのころからタオルの感触に興味があったと言えたらカッコいいんでしょうけど、そんなことは全くなくて。そういえば、小学校3年から6年まで担任だった先生に、卒業して数十年たってから、“君のお母さんはすごいな”と言われたことがあります。先生は母に、“この子は自信がないだけで出来る子なので、何かひとつ5をつけてください”と言われたみたいで、絵ぐらいならと5をつけたと。そうしたら、言ったとおりのことがパパパッとできるようになったって

 その後、松山にある進学校に進んだ池内さんだが、入学式のときに校長面接で「あなたは198人中192番でした」と告げられる。

「兄貴はその学校でも最初からトップクラスでしたが、僕はたまたま受かっただけ。母親も“計司はできないからそんなもんだろう”って感じで、特に勉強をしろとは言われませんでした」

 親元を離れ、寮生活を始めた池内さん。成績は相変わらず下位だったが、中2の夏休みに転機が訪れる。

「ふと、中1の最初から勉強をやりなおしてみようと思ったんです。40日間で1年半分を一気に。そのとき、勉強の仕方がわかったというか、2~30番台までスッと成績が上向いて。それでもできるようになったという感覚はなかったですね。兄貴はできて当たり前、僕はできないのが当たり前というのがこびりついていましたから」

 このころ、大きな2つの出会いがあった。ひとつは今も家族ぐるみで付き合いがある「ポンユー」との出会い。そのうちの1人が、1学年下の井上和久さんだ。

「池内さんとは結婚する前からお互いの奥さんを知っている仲。僕の結婚式の仲人を、池内さんのご両親にお願いしたぐらいです。中学のころから池内さんのことを知っている僕からすると、講演やメディアであそこまで自分の生き方や考え方を打ち出していく人だとは思いませんでした。われわれは彼のことを少々恥ずかしがり屋の照れ屋だと思っていますから。きっと、相当な努力をして脱皮したんだと思います

 もうひとつは、ビートルズとの出会い。テレビの国際ニュースで『She Loves You』が流れた瞬間、腰を抜かすほど衝撃を受け、今もその熱は冷めないと池内さん。これを機に、オーディオにものめりこんでいく。

 一橋大学を卒業した池内さんは松下電器(現パナソニック)に入社。そこでいきなり“らしさ”を発揮する。7か月の研修期間中、「僕、ステレオ事業部に配属されないと辞めるんです」とアピールし、それが功を奏して(?)ステレオ事業部に配属されたのだ。

「ラッキーなことに、ここで今でも心の師だと思っている上司と巡りあえたんです。“君をこういうスケジュールで10年かけて育てるから”なんて言ってくれて」