「今回、41歳で、人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事などにて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます」

 この文面は、流通ジャーナリスト・金子哲雄さんが、生前に自らしたためた会葬礼状だ。'12年10月2日、41歳の若さで“完璧な終活”をしてこの世を去ったことは、大いに話題になった。

病気発覚から2週間で「これも運命だ」

出会って約1年の'02年に結婚。この写真はまだ新婚のころ。'03年12月長崎にて

「10万人に1人という希少がん“肺カルチノイド”と診断されたのは、'11年6月のことでした」

 とは妻・稚子さん。哲雄さんは'08年からメディアに多く登場するようになり、お茶の間目線で“賢いお金の使い方”を解説し一躍、売れっ子に。

診断されたときには、すでに打つ手なしといった状態でした。お医者さんからは“いま、目の前で哲雄さんが亡くなったとしても少しも驚きません”と言われましたから」

 当時、哲雄さんはテレビのレギュラーを4本抱え、ノリにノッていた。その少し前から咳き込むことが増えてはいたが、哲雄さんはタバコも酒も飲まない。すでに末期がんだったとは、青天の霹靂なんて言葉では追いつかなかった。

“僕、本当に死んじゃうの!?”と狼狽し、人前に出るとき以外は泣いていました。でも、2週間もしないで“これも運命だ”と言うように。金子は過去を振り返らないタイプなので、“もっと早く医者が見つけてくれれば”みたいなことは一切言わなかった。とにかく、前しか見ない人なんです

 極めて近い関係者以外には病状は伏せられ、闘病生活が始まった。

「金子は仕事が大好き。というか、大好きなことを仕事にしていましたから。人から必要とされることが、生きていくモチベーションであり、心の支え。“死ぬ寸前まで仕事を続ける”と譲りませんでした

 この時期、テレビ越しに哲雄さんを見て“やせたなぁ”と感じた視聴者は少なくない。

「その裏では、血管内治療という治療法を試したり、薬の副作用に悩まされていました。そして、骨に転移していたがんの疼痛に苦しんだ時期もありました」

 しかし、テレビに映る哲雄さんは、あのやさしい笑顔を絶やさない。それを叶えたのは、稚子さんの死に物狂いの支えだった。

 8月22日、哲雄さんは危篤状態に陥ったが、奇跡的な回復を遂げる。

稚子さんは元・サッカー誌の編集者。2人でよくJリーグ観戦もした

「そして“自分の葬儀は決して間違えたくない”と言いました。流通ジャーナリストとして、“賢い買い物は人生を豊かにする”と日ごろから主張していたのだから、それにふさわしい葬儀をしたいと」

 哲雄さんは冠婚葬祭を何より大切にする人だった。友人知人の冠婚葬祭で誠心誠意尽くして手伝うことで信頼と人脈を築き、流通ジャーナリストとしての道を切り開いていった経緯がある。哲雄さんの見事な終活が動き始めた。

「翌23日には葬儀社の人を呼び、自分が入る棺から、通夜ぶるまいの料理、祭壇に飾る花まで、こと細かに決めていきました。自分の葬儀をすべてプロデュースし、遺言書に葬儀料金を書き加えました」