9年で2度の辞表、突然引きこもりへ

 社会人1年生になるに当たり、欽ちゃんからのある教えが頭にあった。

「“島田は眠くなったらどうする”と聞かれて“寝ます”と答えたら“ダメだよ~”と。“それじゃあ普通の人にしかなれない。もうひと踏ん張りできないと成功しないよ”とサラリと言われたんです。それと両親から学んだ創意工夫の大切さ。人生の2大師匠から教わった2つを胸に刻んで一生懸命、働こうと誓いました」

「“世の中にどう自分の生まれた証を残すのか”と悩んでいたころに、かつて欽ちゃんから言われた言葉を思い出したんです」と島田さん
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 最初の配属は経理。性に合わない仕事だと感じたが、「数字に強くないと巨泉さんにはなれない」と言い聞かせ、取り組んだ。その仕事ぶりが認められ、2年目には営業へ。当時リクルートが発行していた旅行雑誌『AB-ROAD』を見た顧客の電話対応を担当した。数をこなすうち、話す前から相手がどんな目的で電話してきたのか、何に喜ぶのかを先読みできるようになっていく。徐々に指名が入るようになり、社員数100人のうち営業成績は2年連続トップで社長賞を受賞。この経験が後に千葉ジェッツの営業にも生きたという。

 イケイケドンドンの若手社員は社長に「給料を上げてくれ」と直談判し、「好きな海外支店に配属してやるから」と言わしめるほどの存在に成長した。

 だが、25歳でアッサリ辞表を提出する。新たに旅行会社『ウエストシップ』を起業しようとしていた先輩たちに誘われ、心が動いたからだ。

 島田が日大生のころに友人の紹介で知り合い、交際していた妻は「思いついたことをすぐ行動に移す人だからしかたない」とあきれたという。

「夫の第一印象は『変わった人』。田舎出身で純朴な一面があって癒されましたけど、性格は猪突猛進。“俺は人の下で働けないから、社長しか合わないんだ”と飲みの席でもよく言っていましたから、共同経営者になる話は魅力的だったんでしょうね」

 2人は島田がウエストシップに参画した翌'96年に結婚。'98年には長女、2000年には次女が誕生。家族の存在がエネルギーとなり、新会社で営業部門を一手に引き受け、企業顧客を大幅に増やすなど、順調な働きぶりを見せた。だが、29歳で再び独立を考え始める。

「会社、辞めてきたから」

 2001年10月に突然、言われ、妻は返す言葉もなかったという。

「“これからどうするの”と聞いたら、夫は“蓄えがあるから大丈夫。生活は変わらないから。俺ちょっと上の部屋にこもるから”とだけ言って、引きこもり状態になったんです。どうしたもんかと双方の両親に相談し、私の母からは“慎ちゃん、どうするの”と聞いてもらったりもしましたけど、“大丈夫、心配しないでください”と笑顔で言うだけ。2人の子どもも小さかったですし、不安は募りましたけど、実はひとりで起業するためにいろんな勉強をしていたんです」