「一緒に『打倒トヨタ』の夢を追いましょう」

 敏腕経営者の強い信念によって、バスケ界で4年連続観客動員数日本一を達成した千葉ジェッツ。だが、島田が来る前は「金ない、人いない、休みない」の3ない状態。船橋アリーナには閑古鳥が鳴き、預金残高は数百円。夢も希望も見えず、スタッフも迷走。倒産寸前のじり貧経営を余儀なくされていた。

 マーケティング本部ブースターサービス部のリーダー・小林英博さんが当時の惨状を語る。

「10人入るのがやっとの西船橋の狭い事務所で興行や運営など3~4役を1人で担う状態でした。みんな仕事を消化できず、明らかにギクシャクした雰囲気が漂っていました」

 2010年からアルバイトで関わっていた同本部パートナーサービス部・落合豪さんも「非効率極まりない職場環境だった」と打ち明ける。

「僕はアメリカの大学を出て、現地のサッカーや野球のクラブで働き、長年の夢だった地元・千葉のバスケットボールクラブで働き始めたんですが、営業メインのはずが“英語ができる”という理由で外国人選手のマネージメントも兼務させられた。業務は山積みで家に3日帰れず、ドンキに下着を買いに行く羽目になったくらいです(苦笑)」

 2012年、再起不能と思われたクラブを「バスケ未経験」で引き受けた島田。どん底状態からの下克上物語はここから始まった。

「コンサルじゃなくて、社長をやってくれ」

「NO」と答えれば、自分の決断によってクラブは立ち行かなくなるかもしれない。「どうせやるなら、頑張ったけどダメでした」とは言いたくない。腹をくくった島田は、スポンサーに契約料前倒しの支払いを頼んで回った。謳い文句は、「一緒に『打倒トヨタ』の夢を追いましょう」。大風呂敷を広げ、大小問わずスポンサーに営業をかけた。

「打倒トヨタ」と大きな夢を掲げた島田さん。怒鳴られながらも粘り強く営業、スポンサー契約を結んでいった 
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「いつか日本一になる」そんな力強い言葉で5万、10万と地道に資金を集めていく。

 一方、社員にしつこく伝えたのは「バスケットボールはスポーツエンターテイメント」という言葉。「ディズニーランドのようにお客さんに気持ちよく楽しんでもらうことを心がけよう」と気配りを徹底させた。選手を地域のお祭りやイベントに派遣して知名度を上げ、親しみを持ってもらう試みも実施。こうした努力が実を結び、経営状態は8年間で奇跡的な飛躍を遂げたのだ。