授業中に手を挙げることもできない恥ずかしがり屋だったというすえこさん。小学3年生のとき、母がスナックを始めて生活が一変した。

 姉たちはアルバイトや勉強で忙しい。すえこさんはひとりで夕飯を食べ、お風呂に入って、寝た。

「初めはテレビも見放題だし、ラッキーと。でも、1週間もすると、もういい。泣いちゃったときもあります。風がすごく強い日とか、お布団に入って目をつぶっても怖い。だけど、うちは母が働かないといけないからしかたないと納得もしていたんです」

 母の高橋敏子さん(72)は仕事を終え毎日深夜に帰宅。すえこさんの隣に敷かれた布団に疲れ切ってもぐりこんだ。

現在も営む居酒屋にて。すえこさんの話をしながら涙ぐむ母・敏子さん 撮影/齋藤周造
現在も営む居酒屋にて。すえこさんの話をしながら涙ぐむ母・敏子さん 撮影/齋藤周造
【写真】15歳で特攻服、レディースの総長時代のすえこさん

「私の気配を感じるのか、すえこがクルッと私のほうを向いて、こうやって私の胸に手を入れてね。で、おっぱいにあたると安心して、また寝るの。かわいそうだなと思った。夕方、仕事に行くときはね。用はないのに“お母さーん、お母さーん”って呼ぶの。でも、行かないでとは言わなかった。寂しかったのね。私もつらくて振り返ることはできなかったな。やだなー。思い出しちゃうと……」

 敏子さんは言葉を切ると、そっと涙をふいた。

 '87年、小学6年生のとき、敏子さんは居酒屋を開き、ますます忙しくなった。すえこさんが“ボタンのかけ違い”と呼ぶ出来事があったのは、その少し前だ。

 姉の脱色剤を使って、髪の一部を金色にしてしまう。「自分を見て」というアピールだったのだが、母は気がついてくれず、「自分は愛されてないんだ」と傷ついたのだという。

 敏子さんに確認すると記憶があいまいだ。

「う~ん、次の日に理髪店に引っ張っていって、金髪を切ってもらったことは1回あるけど、それかなぁ」

 今となってはこれ以上、確かめるすべはないが、「愛されていない」という思い込みが、幼いすえこさんの心をむしばんでいったことは確かだ。

万引き、喫煙、シンナーに溺れた中学時代

 中学入学前に、住んでいた市営住宅が老朽化で立ち退きになり、市内の県営住宅に移った。通う中学に友達はいない。すえこさんは、アニメや映画にもなった漫画『ビー・バップ・ハイスクール』が大好きで、主人公の不良たちをまねして、金髪に長いスカートで入学式に臨んだ。

13歳のころ
13歳のころ

 すぐに先輩不良グループに目をつけられ仲間になった。ちゃんと登校していたのは中学1年の1学期までだ。

「友達がひとり増えると悪いこともひとつ覚えられるのね。万引きがすごくうまいやつ。バイクを秒で盗めるやつ。はじめはドキドキしたけど、だんだんマヒしてきて、移動手段がないからバイクを盗む、タバコを吸いたいから万引きする。当時はシンナーも流行っていて、吸うとボーッとしてテンションが高くなって、それが気持ちよかった」

 警察に補導され、敏子さんは何度も引き取りにいった。自分の顔を見ると、すえこさんがすごくうれしそうな顔をしたのを覚えている。