'04、'05年とNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド。千葉県木更津市で1997年に結成し、高く盛ったリーゼントにサングラス、学ランと、往年のツッパリブームを彷彿(ほうふつ)とさせるスタイルで話題を集め、根強いファンを持つことでも知られる。

「でも私ね、失礼な話なんですけれども彼らを知らなかったんですよ。ヘルメットや帽子をかぶっていたからリーゼントとわからなかったし、マスクもしていましたから。避難先として身を寄せている知人宅に帰り、妻にこの話をしたら怒られました。“すごい格好をしているけれども、いい子たちなのよ”って」

 翌週も氣志團はボランティアのため鋸南町を訪れ、再び、茂串さん宅の片づけ作業を手伝ってくれた。そのとき、手土産としてもらったオリジナルタオルは「お宝です」と至孝さん。

「彼らの歌を聴いたことがないので、生活が落ち着いたら一度聴いてみたい。どんな歌を歌っているんですか? 『One Night Carnival(ワン・ナイト・カーニバル)』? 一夜のお祭り、か。聴くのが楽しみですね」

'20年、復興に向けて

 取材中、被災した不運・不満を口にすることなく、何度もこう念を押した。

助けてくれたのは氣志團の人たちだけじゃない。ほかのボランティアの人も助けてくれたし、遠くから見舞いをくれた知り合いもいるし、近所の人も手伝ってくれた。息子も休日のたびに孫を連れて遠くからちょくちょく来てくれた。本当にみんなに感謝しています」

茂串さん宅は屋根や窓を失い骨組みが目立つ
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 取材後、息子の龍蔵さんにこの話を伝えると「僕は遠いと思ったことも、苦に思ったことも一度もありませんけれどね」と言うのだった。

 鋸南町を離れ、房総半島南端の館山市・布良(めら)へ。鋸南町と同様、ブルーシートを張った家がそこかしこに残っている。台風15号被災直後に話を聞いた神田町地区長・嶋田政雄さん(75)は、相変わらず忙しそうに歩き回っていた。

「台風19号(10月12日)では地区約300人強が全員避難。中学校の体育館で2泊しました。寂しいのは地区77世帯中6世帯が引っ越しを決めたことです」

 再び台風に襲われることや、地震による津波被害を警戒して、この機会に高台に転居するケースもあるという。

「修復の年越しはやむをえない。今年を漢字一文字で表すと『災』。いや、来年はみんなが健康に過ごせるように『健』にしておこうかな」

 復興の見通しはなかなか立たないが、‘20年はきっといいことがたくさんありますように――。