彼ら彼女らが挑むオーディションもまた、厳しい。先に挙げた東スポwebの記事には、「ハリウッドはどんな小さな役でも、セリフがひと言の役でも、キャスティングを通してオーディションが行われ、本当にその役柄に見える人が選ばれます。日本のようにバーターで出演ということはまずないです」というコメントが紹介されていたが、これは事実である。大手の事務所に入っているから、キャリアが長いからといって、必ずしも有利になるわけではない。

『アリータ:バトル・エンジェル』の主演女優ローサ・サラザールも、「最初のオーディションに行ったとき、待合室には、誰もが顔も名前も知っている女優さんが、たくさんいた」と言っていた。『ターミネーター/ニュー・フェイト』のヒロイン役を手に入れたメキシコ人女優ナタリア・レイエスも、映画のタイトルさえ知らされないままオーディションを受けて、見事、役を手にしている。そういったシンデレラ物語は、ハリウッドにたくさんある。

 だが、何回もオーディションを受けたから次は通ると限らないのも、過酷な現実だ。落ちれば否定されたようでつらいし、収入のあてが遠のく。サラザールも、『アリータ:バトル・エンジェル』に受かる以前のことを、「ある日、コーヒーとベーグルを買おうと思って、カウチをひっくり返したりして小銭を探したけれども、全部合わせて1ドルにもならなかった。自分は今、1ドルすら持っていないんだと思うと、笑えてきた」と振り返っている。

 もっとも、無名のままであれ、コマーシャルなりドラマなり、地道に出演作が増えていけば、「レジデュアル」と呼ばれる再使用料が細々ながら入り、多少なりとも生活の助けになる。これ自体、仕事があるときはあるけれどもないときはない、俳優、脚本家、監督たちの要望を受けて生まれたシステムである。

有色人種の役者はまだまだ不利

 また、オーディションで役を取れるかどうか以前に、自分がやれる役がどれだけ存在するかどうかの問題もある。近年の「#OscarsSoWhite」「#TimesUp」運動で焦点が当たったように、ハリウッドはつねに白人男性を優遇してきた。女性は花を添える役割で、ある程度の年齢になると役がなくなり、有色人種にもおいしい役は非常に少ない。

 昨年、主演俳優をアジア人俳優だけで固めた『クレイジー・リッチ!』がアメリカで大ヒットしたとはいえ、アジア人俳優、しかも母国語が英語でない人が受けられるオーディションは、アメリカ生まれの若い白人男性に比べれば、今も限られる。最近は人種を問わずに募集するケースが増えているようなので、門戸は広いように見えるが、実際にオーディションに通るかどうかは別問題だ。実写版『アラジン』の主役に抜擢されたメナ・マスードですら、あの映画が大ヒットした後も、「次のチャンスを何ももらえない」と言っているのが現実なのである。