ヒステリックな母を変えた先生

その少し前くらいから、母の身体の状態が緩和されたようで性格も穏やかになっていったんですよね。それが整体の先生のおかげだったようなんです。その先生が来ていたのは知っていました。母がイライラして僕に八つ当たりすると、“子どもにそんな態度をとってはいけない”と言ってくれたこともあったけど、僕はいつも先生を無視して自室にいたんです

 だが、ヒステリックだった母を変えた先生に、心身不調な自分も診てもらいたい、いろいろ相談したいと思ったのだという。実際に診てもらうと、かつて痛めた腰の不調も言い当てられた。体調や精神状態についても親切に説明し、相談にのってくれた。

「先生は前から僕に気さくに声をかけてくれていたのに、僕はいつもシカトしてた。それでも親切に対応してくれたので、思わず人生で初めて土下座しました。申し訳ございませんでした、と。先生は“きみは悪くないよ。お母さんも病気でつらかったんだと思う。きみもよく耐えてきたね。お母さんは本当はきみのことをとても愛してるんだよ”と言ってくれたんです。信頼できる人に初めて会えたと思いました。それで弟子にしてもらおうと思ったんです」

 だが、その先生は弟子をとらないという。むしろ一緒に勉強しようと誘われて勉強会に参加するようになった。「この子はプロになりたいみたいだから」「素直でやさしい子だよ」と集まった人たちにも紹介してくれた。不器用で愛し方のわからない両親は、そんなふうに褒めてくれたことがなかったから、彼は心癒され、自分もあん摩マッサージ指圧師になろうと決めた。

 父に専門学校に行きたいと打ち明け、試験を受けて国家資格を受けることができる学校に入学した。19歳のときだった。

「昼夜逆転の生活をしていたのでつらかったけど、朝早く起きて週に6日、学校に通いました。これからは人間関係も大事にしなければいけないと心に決めて、顔を合わせると“おはようございます”と元気に挨拶もして。最初は声が出なかったし、挨拶したあと話が続かなくて困惑したりしましたけど、だんだん慣れていきました」

 その専門学校の最初のテストで、彼はクラスでいちばんになった。国家資格を取るには解剖学や生理学、臨床医学まで幅広く学ばなければいけない。彼は必死に勉強した。そしてトップになった。それが自信を生んだ。

「プロになると決めたから覚悟ができたんですよね。やりたいことが見つかった。クラスでいちばんになったら、勉強を教えてと言ってくる人が現れた。教えることで、自分が人の役に立てることがうれしかった。一緒に勉強を頑張っていく仲間ができたのも楽しくて。カラオケにも初めて行きましたけど、人前で歌うのは案外、楽しいなと思えて」