「私たちは日本人を認めません」

 ブルースシンガーとして輝かしい活躍を続けていた大木さんだったが、一方でセラピードッグに関する情報を集め、育成の勉強もするようになった。

セラピードッグを導入するアメリカの高齢者施設にたびたび足を運んだ
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 あるとき、大木さんは動物愛護の会で、白人男性に声をかけられた。

「ミスター・オオキ。私はあなたのレコードを持っています。でも、あなたは日本人ですよね。私たちは日本人を認めません」

「え? どうしてですか?」

「あなたの国には、犬猫のアウシュビッツがある。動物愛護の法律も欧米に比べて遅れをとっている。そのうえガス室で殺す。とんでもない。そんな民族を私はとても認められない」

 1980年当時、日本では100万頭以上の殺処分があった。

 大木さんには返す言葉がなかった。

「ミスター・オオキ、あなたは人前に出る音楽家なんだから、変えないといけない」

 大木さんは、日本公演で帰国した際に、保健所のガス室などを視察するようになっていった。

「とんでもない世界でした。日本のペットの死因のトップは、事故や病気ではなく殺処分。飼い主の勝手な都合で捨てられた犬は、捕獲された後、5日間係留され、その間に飼い主が現れなければ、ガス室に送られていたのです」

 大木さんは、次第にこんな思いを持つようになった。

「私の使命は、人を助ける犬を育てることだ」

 日本では「盲導犬」という言葉がやっと広まりはじめた時代。アメリカで集めたセラピードッグに関する情報を、帰国するたびに日本の医師や医療機関に説明した。だが、犬が高齢者や病人を救うということがなかなか理解してもらえない。「犬がいったい何をすると言うんだ!」「なぜ病院に連れてくる!」など門前払いされたこともある。また、衛生面で反対の声を上げる人も多かった。

 1992年、大木さんはニューヨークと日本の2拠点で生活するようになった。日本での住まいは、かつて療養していた松戸市の病院の近くだった。

 ある日のこと。近所の団地のゴミ置き場に捨てられていた1匹の母犬と5匹の子犬を見つける。団地に住む小学生たちが内緒でえさやりをしていたのだ。

「あんなに不憫な犬を見たのは初めてでした。虐待を受けたのか傷だらけ。後ろ足の不自由な片耳の垂れた雑種でしたね」

 母犬には、小学生の女の子が「チロリ」と命名していた。大木さんは小学生たちと必死になって子犬の里親を探した。