新卒で就職その後、事業を立ち上げる

 地元の小中高を卒業後、大学へ進学。中堅企業に就職した山上さんは、20代後半に自ら起業した。しかし、資金繰りがうまくいかずに廃業し、フリーターのように職を転々とする生活になったという。父親は大学時代に、母親も起業して間もなく亡くなり、親族関係はほとんど絶たれ、若くして天涯孤独だった。

「それからは主に肉体労働で稼ぎました。新聞配達や交通整備の仕事などもやったことがあります。自宅は親の家を相続して、いまもそこで暮らしています。  当時は借金の返済もしなくてはいけなかったので、売れるものはすべて売り払って、友人や会社の同僚にお金がないので助けてください、と頭を下げ、生活保護を受けないように何年も貧困生活を続けていました」(山上さん)

 手持ちのお金が5000円を切ったとき、追い詰められた山上さんの思考はマイナスの方向へと傾いた。

「強盗をやるか、自殺するしかないという考えが頭をよぎったんです。さすがにこれはもう限界だと思って、7年前から生活保護を受けるようになりました」

 40代後半になり、不運はさらに重なる。自宅で胸の痛みを感じて息苦しくなったという。

「職場の健康診断でも、高血圧に気をつけるよう指摘を受けていました。でも、このときは痛みも治まったので身体のことより自分自身、きちんと働いて社会に適応したいと、まだ願っていました。なので精密検査は受けず、医師から言われたように、血圧を上げないよう気にしながら、土木の仕事を始めました」(山上さん)

 働き始めると“自立した生活をしたい”という気持ちが高まり、つい作業に夢中になる。ところが、今度は作業中に狭心症を起こしてしまう。薬を飲みながら続けようと試みたが、

「無理して働いても迷惑をかけてしまうと社長に相談して退職勧告をしてくれませんかとお願いしました」

猛烈な胸の痛みで救急車を呼ぶと

 そして、辞めてしばらくたったある日、自宅で異常なのどの渇きとともに、まるで象に踏みつけられたような猛烈な胸の圧迫感に襲われたのだ。痛みも我慢の限界を超え、救急車を呼んだ。

「救急車が家に到着するまで20分、車内で15分かけて心電図を取り、病院に引き受けてもらう交渉に10分かかり、ようやく出発しました。私は胸の痛みに耐えるため、必死にこぶしを握り締めていて、内出血ができるほどでした。そして診断結果は、急性心筋梗塞。運よく搬送先の病院には心臓血管の専門医がいて、すぐにバイパス手術を受けて助かりました」

急性心筋梗塞で緊急搬送され、バイパス手術を受けた山上さんの術後の心臓写真。周囲の管が大がかりな手術だったことを物語っている
急性心筋梗塞で緊急搬送され、バイパス手術を受けた山上さんの術後の心臓写真。周囲の管が大がかりな手術だったことを物語っている
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 現在の山上さんはどこにでもいる50代男性と変わりなく、重い病気やケガを抱えているようには見えない。

「でも、中身の心臓はボロボロで、いつ発作が起こるかわからない状態の“内部障害者”なんです」

 3度目の発作が起きないよう、ふだんから血圧を上げないよう、徹底的な注意を払う生活が必要となった。自立して生活したいと強く望んでいた山上さんは働くことをあきらめ、生活保護の生活扶助と医療扶助を受けて生きていくことにしたのだ。