最高位は東幕下49枚目の大司

 お話をうかがい始めると、最初に思い描いていた豪快なイメージとはギャップがあることがわかってきた。

「みなさん、いろいろと定義づけしてくださってありがたいんですが、今やってることは僕という人間の生きづらさと、相撲でやってきたものが相成った産物です。僕は生きづらさの当事者です。パフォーマンスを見てもそう感じないでしょう。楽しそうに自由にやってると。でも、本当の僕はそうじゃない。それでも自分の内なる思いを拡大して表現するのがラップだと思うので、思いや願いを全部、全力で表現します。必死に叫んでるんです」

東京・高円寺の路上でパフォーマンスをする、ごっちゃんこさん
東京・高円寺の路上でパフォーマンスをする、ごっちゃんこさん
【写真】通りがかりの一般人と相撲を取るごっちゃんこさん

 生きづらい自分を抱えて悪戦苦闘するごっちゃんこさん。その激動の相撲人生を聞くことになった。

 ごっちゃんこさんこと、太田航大さんは平成29年まで入間川部屋に在籍した、元プロのおすもうさん。最高位は東幕下49枚目。大司(ひろつかさ)という四股名に、相撲ファンなら記憶にある人もいるだろう。

「僕は6歳から相撲をやっていて、愛知県岡崎市の出身です。小学校低学年のころから御嶽海とは合同稽古でよく当たっていたし、北勝富士、宇良世代で、炎鵬のお兄ちゃんとも同じ年でよく試合で当たりました。相撲を始めたのは父親がトレーナーで、心も身体もひ弱な自分に『男なんだから鍛えろ』って、たまたま地元にあった『岡崎相撲教室』に通うようになったんです。ここはめっちゃ名門で、琴光喜関もかつて通っていたところです」

 路上パフォーマンスの映像を見てもらえばたくましく鍛えられた身体がわかるが、6歳から相撲をやってきた、バリバリのおすもうさんだ。高校時代には、インターハイ団体2位になった。決勝の相手は相撲の名門、埼玉栄高校。

「それは2年のときで、3年ではインターハイで朝玉勢(現・十両)に一回戦であっさり負けました。ちょうどプロになるか心が揺れている時期だったんですが『これはちげぇな』と、違う道を考えようとしたんですけど、同志社大学へ相撲の推薦で行かせてもらえることになり、相撲を全うしようと進学しました」

 ところが、そのころからごっちゃんこさんの苦悩が始まる。

「実は高2の終わりぐらいに体重を増やして負けない身体にしようと躍起になり、95キロから108キロまで増やしたんです。(プロの)現役のいちばん大きかったときと同じです。でも現役の筋力がついた108キロと、高校生の108キロじゃ全然違います。ただただ飯食って太っただけ。結局パフォーマンスが落ちてしまいました」

 そこで体重を元の95キロに戻すと、お腹が出てる状態で安定していた背骨や骨盤の位置が変わり、腰痛が悪化。結局、高校3年の秋以降はずっと相撲が取れないままとなる。

「そのまま3月の卒業式が終わったら、翌日には大学の入寮式。推薦で入ったわけだし、無理して相撲を取っていたら5月ぐらいに、また腰痛が爆発。病院に行ったらひどいヘルニアだってわかりました。何をしても痛い、相撲は取れない。それですつかりふさぎ込んでしまったんです」