引退しても“相撲”をやめなかった

 同じタイミングで幕下に上がってきたのが、現在、幕内の上位で活躍する豊山だ。初日、豊山と対戦が組まれた。立ち合いの早いごっちゃんこさん、攻め込んだものの、負け、しかも足首を痛めてそのまま休場となってしまう。次の場所は勝ち越したけれど、そこからは気持ちがついてこなくなった。伸びしろは塗りつぶされ、負け越しが続いた。そして平成29年の9月場所前にやめることを決めた。

「親方には決断する前に、2回“やめたい”と相談していたんですけど、“一年間分もまだうちの部屋で稽古やれてないよ”と言われ、跳ね返されていたんです。でも、ずるずると続けたくなかった。自分の人生は自分で決めたい」

 やめることを決めて親方のところに行くと、「世話したつもりはない」と言われた。親方の無念な気持ち、ごっちゃんこさんは痛いほど感じながらも京都に戻った。アルバイトをしながら、相撲を使った健康コンテンツを構築して事業化する計画を立て、そのかたわらでバンド活動を路上で始めるも、次第にパフォーマンスが主となっていく。

東京・高円寺の路上でパフォーマンスをする、ごっちゃんこさん
東京・高円寺の路上でパフォーマンスをする、ごっちゃんこさん
【写真】通りがかりの一般人と相撲を取るごっちゃんこさん

「自転車屋さんが“『ちゃんこぽんちー』で食っていけるようになろう”と、新しいメンバーをひとり連れて来て、3人組のユニットになりました。京都の町家のレンタルスペースを借りてイベントをやったんですけど、『ちゃんこぽんちー』としてのパフォーマンスをして、ちゃんこ鍋を作ってみんなで食べたり、相撲フィットネスもしたり。素人目から見て相撲の売りやすさを詰め込んで使い切る、みたいになっちゃったんです。“なんでもやったらいいな”とチャレンジしたけど、しっくりこなくて、しんどかったです。それで、全部バラけさせました」

 何もかもやめて、傷心のまま実家の岡崎に帰った。どうしたらいいんだろう? 悩みに悩んで、「路上パフォーマンスをもっとフランクにやろう」と決めて京都に戻る。手探りで路上に立ち始め、SNSにつぶやきや動画をあげていった。すると……。

 次第にフォロワーが増え、メキシコ在住の韓国人の人気ユーチューバーがインスタのストーリーにあげてくれた夜には、一気にメキシコ人のフォロワーが800人も増えた。だからメキシコに行った。

「メキシコは貧富の差が激しく、子どもでもお菓子を売り歩いたりと生きるのに必死。でも、そのシビアな現状を笑い飛ばす陽気な性格で、すぐにウジウジ考える自分は救われました」

 2月はインドに行って、3月は台湾へ渡った。コロナウイルスの影響でどうなるかわからないが、これからヨーロッパにも行きたいと思っている。

「子どものころ、相撲強くなって世界に相撲を広げるぞ! と言ってたんです。ハッと気づいたら、王道じゃないけど、それをやり始めてる。夢見たようなキラキラしたものじゃないけど、自分がやりたいことをやってる。僕は相撲が好きなんです」

 太田航大さんこと、ごっちゃんこさん。悩みながら、転びながら、その相撲道は世界に、未来に、まだまだずっと続いていく。

ごっちゃんこさんのパフォーマンス看板、外国人も興味を示すため英語表記も
ごっちゃんこさんのパフォーマンス看板、外国人も興味を示すため英語表記も

和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。