意識改革のはじまり

 渡辺は小川さんのひと言を機に「剛腕で統率力あるリーダー」をやめ「みんなと一緒に幸せになるんだ」「自分も社員も笑顔でワクワクしながら働ける会社にしよう」と意識改革を行う。同時に明確な目標も掲げた。

 ひとつは、『日本でいちばん大切にしたい会社』の著者である法政大学・坂本光司教授に取り上げてもらえる理想の組織を作ること。もうひとつは、テレビ東京の番組『カンブリア宮殿』に出ること。それくらい社会的に意味がある会社にしたい。それを伝えると、小川さんは「願わなければ叶わないものですが、きちんと意識していれば、十分叶いますよ」と太鼓判を押した。社会にとって有益で社員全員がハッピーになれる会社を作るために、渡辺は突き進み始めた。

管理職の人間と1対1で話をする「ONETOONEミーティング」で、渡辺の考えをしっかり共有する。この日は商品に入れる成分表のデザインの相談を受けた
管理職の人間と1対1で話をする「ONETOONEミーティング」で、渡辺の考えをしっかり共有する。この日は商品に入れる成分表のデザインの相談を受けた
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 2008年の社長就任前後から、名経営者の書物を片っ端から読みあさり、禅や瞑想も体験。外部研修にも精力的に通うようになった。小野寺さんもその変化に驚かされたひとりだ。

「自己啓発や管理職セミナー、コスト管理の勉強会など『これはプラスになる』と思ったものは自ら参加して、確信を持ったものは、金に糸目をつけずに、われわれ社員にもすすめてくれました。私自身もいくつか行きましたけど、部下のまとめ方やいい組織作りに関して新たな気づきを得ました。『みんなでいい方向に進もう』と励ましあいながら乗り越えるような空気も生まれてきました」

 高校時代から定期的に会っていた土屋さんも、親友からグチが消えたことに気づいた。

「僕も雅司と同じころ、似たような悩みを抱いていたんです。『社員が働かない』といった不満はお互いによく言い合ってました。それが社長になったころから考え方が変わってきた。『みんなの生活をよくしたいから頑張る』と前向きになったんです。その変化を間近で見て、僕自身もウチの社員に自分から『よく頑張ってるね』『残業してくれてありがとう』と歩み寄るようになった。それだけで会社の空気ってガラリと変わるんです。僕は雅司に大事なことを教えてもらいました」

 渡辺の次なる一手は「新卒採用」の強化だ。かつての船橋屋は紹介で職人を雇い、技術を叩き込むという昔ながらのやり方だったが、若い力を借りてよりモダンな組織に飛躍しなければならない。そう考えて、大手就活サイトで社員を募集し、会社説明会を実施するようにした。

 そういう形で入社した1人が、現執行役員の佐藤恭子さん(38)だ。2004年に入った彼女は、就活生時代に船橋屋全店舗を回って緻密なレポートを持参してきた伝説の人である。

「大学時代にバスケットボールに邁進していた私は大学への就職を考えていたんです。でもケガで断念せざるをえなくなった。就職先を考えたときに、私は歴史好きだったので『戦争を乗り越えた老舗で、地元の人に慕われている会社に入りたい』と考え、いくつかにコンタクトしました。

 でも、会社説明会に松葉杖姿で参加する私を見て『そういう状態なら事前に知らせてくださいよ』と怒鳴られたりした。そんなとき、当時専務だった渡辺だけが『学生時代に頑張った証だね』と言ってくれたんです。就職氷河期のなか、『この人の下でどうしても働きたい』と思った私は、松葉杖で船橋屋の全店舗を回り、調査レポートを作って最終面接に臨みました。採用に至り、本当にうれしかったですね」

 けれども、佐藤さんの入社当時は社内の組織に古い体質が残っていた。新人の彼女自身も靴がなくなる、あからさまに悪口や陰口を言われるといった昼ドラのような嫌がらせを受けたという。

「入社した4月のうちに、会社を辞めたいと思ったんです。でも、私が嫌がらせを受けていると知った社長が、夕礼で『新人をいじめるなんて、どんな会社だ!』と注意してくれたと知って、組織が変わっていくことを信じて残ることにしました」