“リーダーズ総選挙”での変化

 雰囲気が明確に変わり始めたのは、佐藤さんも参加した「組織活性化プロジェクト」が発足した2007年ごろ。新卒採用の際に、現場の部課長クラスを面接官にすることで、「自分が選んだ子が採用されてうれしいし、新人を大事にしなきゃいけない」という意識が生まれたという。居心地のいい会社へと進化を遂げたことが学生にも広まり、近年は数名の採用枠に1万7000人ものエントリーが来るようになった。今や勤務するのは、パートも含め200人超。渡辺が船橋屋に入ったころに比べると3倍近い規模に拡大している。

執行役員の佐藤さん。くず餅乳酸菌を使った事業すべてを統括する。船橋屋愛を熱く語ってくれた 撮影/伊藤和幸
執行役員の佐藤さん。くず餅乳酸菌を使った事業すべてを統括する。船橋屋愛を熱く語ってくれた 撮影/伊藤和幸
【写真】450日熟成させたものなのに消費期限はわずか2日、船橋屋のくず餅

 佐藤さんが執行役員に選ばれた2015年の「リーダーズ総選挙」も革命的な試みだ。すべてを社長が指示するトップダウン型組織ではなく、社長が掲げたビジョンをみんなが共有して働く組織にするために、あえて踏み切ったのだ。

 正社員と勤続5年以上のパートに匿名で投票してもらった結果、組織のナンバー2のポジションに選ばれたのは、33歳の若い女性。これにはショックを受けた年配男性社員もいた。小野寺さんは彼らの思いを代弁する。

「佐藤がズバ抜けて優秀なのは入社前からわかっていたので、たくさんの票が集まったことは納得したと思います。ただ、古参の社員は『自分にはこれしか票が入らなかったのか……』とガッカリした。多少難しい空気が流れたのも確かです」

 一方で、佐藤さんがナンバー2になったことで、「女性が働きやすい会社にしたい」という機運が高まった。産休・育休を取得して復職する社員も出てきた。「努力次第で自分の考えが反映される」という希望を持って働くスタッフも目に見えて増えた。彼女の抜擢が古い体質が残っていた船橋屋に新たな風を吹かせたのは間違いない。そこも渡辺の狙いどおりだった。

「僕の考えをしっかり理解してくれている佐藤が、リーダーとしてみんなを引っ張り、新しい取り組みや人事・組織運営・そして商品開発など多彩なジャンルで活躍してくれています。5代目の妻だった曾祖母が戦火から守ってくれた『くず餅乳酸菌』を抽出してサプリメントや化粧水なども開発していますが、それも佐藤主導で進めてくれている。僕が強引に引っ張らなくても、会社は回る。それが今の船橋屋なんです」

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 こうした改革と努力の結果は商品にも表れ、船橋屋は2018年8月にはJR東日本おみやげグランプリで「元祖くず餅 カップくず餅」が総合グランプリに輝くに至った。「亀戸天神の船橋屋」から「東京の名物を売る名店」へと変貌を遂げたことが広く認められたのだ。「くず餅プリン」などの新商品もヒットし、店舗も25まで拡大している。この10年で経常利益6倍という急成長ぶりに目をつけたテレビ東京は渡辺を『カンブリア宮殿』のゲストに抜擢。2018年11月に念願の出演が叶った。

 渡辺が尊敬する坂本教授も、直々に船橋屋を訪れて調査を行ったという。「優れた会社と認めないと先生は来られません。そういう意味でも認められた証拠だと思います」と小川さんも力を込めた。これを機に坂本教授との親交が深まり、一緒に講演会も開催したというから、本人もうれしい限りだろう。

 渡辺の2つの夢は実現したと言っていい。

 そうやって会社を劇的に変えた父の姿を長男・大起さんは頼もしく感じている。

「父の経営者としての葛藤を子どもながらに感じることは多々ありました。以前は公私ともにうまくいかなくなると感情を露わにしたり、何かに当たることが結構ありましたが、経営者の集まりや研修会に参加することで『今までの自分を抑えて前向きになろう』と努力した。そうやって会社を大きくしたのは本当にすごい。215年の長い歴史と伝統を引き継ぎ、今の時代に合わせた改革をするのはそう簡単なことじゃない。僕も将来、家業を任せてもらえるような経営者を目指します」

船橋屋の代表商品の元祖・くず餅。ほのかな酸味と爽やかな食感のくず餅に、上質な黒蜜ときな粉をからめていただく 撮影/伊藤和幸
船橋屋の代表商品の元祖・くず餅。ほのかな酸味と爽やかな食感のくず餅に、上質な黒蜜ときな粉をからめていただく 撮影/伊藤和幸

 船橋屋9代目を目指す大起さんが脳裏に刻みつけている父の口癖がある。

「経営者の身体は自分だけのものではない」

 渡辺は今回の取材の最初に「健康オタクなんです」と冗談まじりに語ったが、それは単なる趣味ではなかったのである。

「今まで高野山の禅やインドのチェンナイでの瞑想などいろんなトライをしながら心身両面の健康を保ち、仕事に全力を注いできました。そんな僕を見て、妻があるとき、『パパの生き方がカッコよくなかったら、大起が跡を継ぎたいなんて言い出さないんじゃない?』と言った。自分は妻に仕事を認めてもらうのがいちばん大変だなと思っているので、その言葉はうれしかったですね。いずれは9代目を目指す息子にうまくバトンタッチしたい。親バカかもしれないですけど、息子は僕より経営者の資質があると思うので、期待したいです」

 父の顔をのぞかせた渡辺は、後継者である息子が老舗を引き継ぎ、もっとワクワクするような店に発展させてくれることを心から祈っている。そんな日が訪れるまで、彼は日本中のくず餅ファンをアッと驚かせる斬新な取り組みを続けていくつもりだ。


取材・文/元川悦子(もとかわえつこ) 1967年、松本市生まれ。サッカーなどのスポーツを軸に、人物に焦点を当てた取材を手がける。著書に『僕らがサッカーボーイズだった頃1~4』(カンゼン)など。