金華山山頂の岐阜城

ドラマでは斎藤利政が居を構えている稲葉山城。後に織田信長がここから天下統一を目指す
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 名鉄を乗り継ぎ、名鉄岐阜駅に移動。そこからバスで約10分ほどの距離にあるのが、光秀の主君である斎藤利政(道三)の居城・岐阜城(地図2)。天気のいい日は、市内からも金華山山頂ににそびえたつ城を仰望でき、308mに築城された難攻不落の城として、今なお多くの人を魅了する。岐阜公園内から歩いて登頂することもできるが、途中は険しい道が続くため、約3分で山頂付近まで到達可能なロープウエーが◎。

 斎藤氏は、信長と帰蝶の婚姻によって織田家と和睦・同盟を結んでいたが、斎藤利政が、その息子・義龍に討ち取られると関係が再び悪化。義龍が没すると、斎藤龍興が家督を継ぐも、織田氏との『稲葉山城の戦い』で敗戦し、以後、信長の居城となった。それを機に、地名を“岐阜”と改名し、城の名前も『稲葉山城』から『岐阜城』に。

 城下町の発展に力を注ぐため、歴史の教科書で習ったであろう楽市楽座も、岐阜城下で盛んに行われた。今なお、岐阜県としてその名が残るわけで、命名者があの織田信長と知ると、「岐阜県ってすごいじゃん」と畏怖の念を抱かずにはいられない。

 現在の天守閣は再建されたものだが、石垣の一部は信長時代のものと言われている。天守閣内は入場可能で、最上階から濃尾平野や名古屋市内を望む見晴らしは絶景。複雑な地形を一望すると、“戦国時代屈指の難攻不落の城”と謳われた意味がわかるはず。この城を落とした信長のすごみも伝わってくる……。

 信長が美濃を制圧している間、光秀はどこにいたのか。道三が討ち取られると、居場所を追われ、美濃の北・越前(現在の福井県)に向かったと言われている。そこで細川藤孝と再会し、足利将軍家を再興しようと東奔西走し、信長とも親しくなっていく。光秀の名が、歴史の表舞台に頻繁に登場するようになるのもこのころから。すでに40歳を越えており、遅咲きの苦労人だったことがわかる。

信長の琵琶湖水運支配の始まりとなった坂本城。実はこの場所、当時は湖の下だったという