琵琶湖畔の坂本城址

 信長配下で光秀が大きな功績を残したのが、比叡山延暦寺の焼き討ち。実は光秀、「(延暦寺に味方する)仰木家の勢力はみな殺しにしてしまえ」などと手紙にしたためていることから案外ノリノリで攻めたてたなんて説も。その功績もあってか、延暦寺の麓の町・坂本5万石を与えられるだけではなく、坂本城の築城まで許される。

 当時、交易の中心は日本海。積み荷が琵琶湖を介して京都に送られていたため、坂本に城を築くということは、信長から京都の東の玄関口を任されたようなもの。坂本城は、本丸が琵琶湖にせり出した水城だったと考えられており、なんと安土城の参考になった城とも言われるほど! 

 坂本城址公園(地図3)へは、大津駅からバスで行くことができ、最寄り駅である比叡山坂本駅からバスもある。が、本数は少ないため、タクシー移動も視野に入れたほうがベターだろう。琵琶湖の幽玄な景色を眺めながら、「このときは光秀と信長は蜜月だったんだろうな」などと物思いにふけってしまうこと請け合いだ。

 信長から信頼されていただろう光秀は、京都の西・丹波(現在の亀岡市や福知山市など)の攻略を命じられる。4年の歳月をかけ、亀山城を拠点に着々と攻略していき、丹波を平定する。武田信玄が信濃を攻略するために費やした歳月が10年(その後に川中島の戦いが勃発)だったことを考えると、信長という後ろ盾があったにせよ光秀の攻略スピードは相当なもの。どんなことに対してもオールラウンドで対応可能な超やり手のビジネスマン……それが明智光秀という武将と言えるかもしれない。

光秀が本能寺へと挙兵した城址。何が彼を“裏切り者”にしたのか……
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首塚のある谷性寺

 丹波攻略の中で光秀とゆかりを持つ寺が、亀岡駅からバスで30分ほどの場所にある「谷性寺(地図5)」。別名「光秀寺」とも呼ばれ、初夏になると近辺で光秀の家紋である桔梗が咲き乱れるひそかな人気スポットだ。

「言い伝えによりますと、丹波攻略の際、光秀は旧山陰道を進軍していて、その際に近くに位置していた谷性寺の存在を知ったそうです。雷で焼失する以前の谷性寺は大きなお寺で、お坊さんの修行の場だったとも言われています」

 と教えてくれるのは、住職の若林さん。本尊が不動明王であることから、攻略の際にそのご加護を受け、信長を討つべく本能寺へ向かう際には、「一殺多生の降魔の剣を授け給え」と誓願したとも。