信長を討ったあと、山崎の戦いに敗れ坂本城へ逃げる際に命を落とした光秀。その首が葬られているとされる谷性寺には光秀の首塚が
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「良君に何が起こったのか──」

 丹波を平定した光秀は、荒んだ町を復興することにも精力的だった……と聞くと、意外に思う人もいるかもしれない。福知山駅から徒歩で15分ほどの福知山城(地図6)は最たる例で、近代城郭へと改修し、城下町を整備。謀反人と名高い光秀だが、昔の丹波の人々は光秀を慕っていたという。

「今でも光秀公を慕う人は多いです。門前にあるききょうの里は、地元の方が丹精込めて桔梗を育てています」(若林住職)

 坂本という東の玄関口、そして丹波亀山城という西の玄関口を任されていたことからも、信長の光秀への信用は極めて高かったことがうかがい知れる。しかし、1582年、光秀は丹波平定で大活躍した丹波亀山城から本能寺に向けて出陣する。丹波亀山城跡(地図4)の石垣は太平洋戦争後に再建されたものだが、一部は光秀が居城していた際のものが残っている。趣きのある城址を見ていると、「良君に何が起こったのか──」。そう思わずにはいられない。

「閲兵のために京に向かう」と、家臣に伝え出発。亀山城から2・5キロほど東に位置する篠村八幡宮で、初めて藤田伝吾ら重臣5人に、謀反の意図を伝えたというからゾクゾクする。柴田勝家は北陸に、羽柴秀吉は中国に。畿内の司令官だった光秀が裏切るとなれば、「是非もなし」。

 苦労人で、ムチャぶりに対しても応える。黙々と仕事をこなし、丹波の民からも慕われていた明智光秀。その足跡をたどると、“裏切り”とはほど遠い誠実な仕事人像が浮き彫りになる。麒麟ならぬ、いかにして“クライマックスがくる”のか……聖地を巡礼すると、ドラマがさらに楽しみになること間違いなし!

地図作成 大塚さやか