東日本大震災のときも、現在の新型コロナ蔓延の状況とは異なる事情で自粛ムードが続いた。'11年5月、テレビではみながグレーや黒の服を着ている中、オレンジ色の超ミニスカートで『スタジオパークからこんにちは』(NHK)にゲスト出演した。

「心が死んだら終わりだと思っていましたから、いつもの調子で、下積み時代に5年間、車中泊のホームレス生活をしたエピソードを話したんです。車の中で座ったままで、まっすぐ寝られなかったので、腰は痛いし、エコノミークラス症候群になりそうだったんですよ。だからそうならないように、動ける人は歩きましょうって言ったんです」

 すると被災地から「元気がもらえた」「歩きます」と反響があり、いつもの5倍に及ぶメールとFAXが届いた。

「印象的だったのは94歳のおばあちゃんからきたFAX。筆で“この子は私たちが失ってしまったものを全部持ってる。5年間、車の中で住んでた人がこんなにも明るくできるんだから、まだ2か月の私たちは何をやってるんだ、もっと強くならなきゃダメだ”って書いてあったんです。被災地からの言葉に自分自身が勇気をもらいましたね」

 コロナ疲れがささやかれるようになった今、LiLiCoは震災のときと同様に、春らしい色の服を着て、元気スイッチを入れるという。

弟の母親代わりになると決めた

 1970年、スウェーデンのストックホルムで生まれた。本名はアンソフィー。

「父がジョン・レノンの大ファンで、日本人女性と結婚したいと夢見ていたところでバックパッカーの母と出会って、私が生まれたんです」

 幼少期は内気で物静かな少女だったという。LiLiCoが9歳のとき、弟のTAROさんが生まれた。このころから両親の関係は修復不可能なほど悪くなっていた。毎日怒鳴り合いと皿を投げ合うケンカが続き、あるとき父親が家を出ていってしまう。

「当然、母は働きながら2人の子どもを育てなければいけなくなり、私が生まれたばかりの弟のお母さん代わりになろうと決めたんです」

9歳のころ、弟と
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 TAROさんには重い喘息とアレルギー疾患があり、医師には3歳までしか生きられないと宣告されていた。

「毎日、弟が生きること、それだけしか考えていませんでした。今でも子どもの泣き声と救急車のサイレンを聞くと、弟が発作を起こして病院に運ばれたときのことを思い出してドキッとします」

 放課後は弟を幼稚園から連れて帰り、一緒に過ごした。

 TAROさんはLiLiCoの部屋の記憶がうっすら残っていると言う。

「それは確か青い部屋で、どの部屋より温かで僕にとって安心できる場所でした。特に母とケンカしたときは、すぐに姉の部屋へ行きましたね。姉は僕を足に乗せて、よく飛行機みたいに飛ばしてくれました。

 後から聞いたのですが、“弟がアレルギーなのでうちに遊びに来るときは香水はつけないで!”などリストをつくって友人に配っていたみたいです。とても感謝しています

 TAROさんは現在、スウェーデンで大学教授となり、2人の子宝にも恵まれ幸せに暮らしている。LiLiCoは病弱だった弟が父親になったことを誰より喜んだ。

「涙が止まりませんでしたよ。うれしくって……おばあちゃんになった気分でしたね」