1969年8月、まだ幼いお子さまたちと軽井沢でご静養されている際のひとコマ
【写真】若き日の美智子さまとお子様たち、愛子さま“公園デビュー”など

 自ら料理を作られていたのは、学生時代に受けた富美子さんからの教育が背景に。

「美智子さまは中高生の間、東京・麹町で知人が開いていた会に月1回くらいのペースで、ご友人らと一緒に習字や料理を習われていました。

 鯛のおろし方なども教わりましたが、ご両親としてはいつか嫁がれる日のため、花嫁修業の一環だったのだと思います」(美智子さまの同級生)

 この体験があったからこそ、紀宮さま(黒田清子さん)に料理はもちろん、嫁がれた後、しっかりと生活できるように指導されていた。

「美智子さまには、紀宮さまが“将来、結婚したときに民間人として困らないように”というお考えがありました。

 だからこそ、普通の家庭と同じように、紀宮さまが小さいころには、新聞と牛乳を毎朝取ってくるなどのお手伝いや、リンゴの皮むきやお裁縫なども教えていたそうですよ。

 ほかにも米のとぎ方やボタンの縫いつけ、洗濯の仕方も指導されたそうです」(渡邉さん)

紀子さま、美智子さまと実母から同じ育児書をプレゼントされていた

 振り返ってみると美智子さまの育児には、富美子さんの影響が垣間見える。そんな美智子さまの“育児記録”を最初に受け継がれたのは'91年に眞子さま、'94年に佳子さま、'06年に悠仁さまの3人を出産された紀子さまだった。

「眞子さまがお生まれになって以来、美智子さまが実践されていた“育児記録”を毎日つけられていました。睡眠時間や授乳量、排便などの回数をご本人がおつけになっていたそうです。眞子さまが生後4か月のころから、紀子さまはご自身で作られた離乳食を食べさせていました。果汁やスープ、野菜の入った“つぶし粥”などで、お仕事で用意できない場合でも、メニューや量を職員に指示されていたそうです」(秋篠宮家関係者)

 育児日誌以外にも、美智子さまからはこんな“プレゼント”も。

「眞子さまを妊娠されていたころ、母親の和代さんから羽仁もと子さんの著書『おさなごを発見せよ』を贈られたのですが、実はこの本、偶然にも美智子さまも紀子さまにプレゼントされていたのです。

 これには、泣き声を聞き分けて母乳を与える心得から“しつけのいろは”に至るまで、子どもの育て方が説かれています」(同・秋篠宮家関係者)

 美智子さまからサポートされながらも、頼りになるのはやはり、実の母親だった。

「初めての妊娠で不安を抱えていらっしゃった紀子さまは、お母さまにたびたび、お電話されていたそうです。

 それまでは、料理の味つけなどをお聞きになっていたのですが、つわりや妊娠中に注意すべきことなどを教わっていました」(紀子さまの知人)

オーストリアのウィーンでの紀子さま。母・和代さん、弟・舟さんと(1977~’78年ごろ)