旧体制の男らしさが信じられなくなった今、現代の男性は余計に自分探しをしなくてはならなくて、つらそうだなあと思います

 こう語るのは日本大学芸術学部文芸学科教授・ソコロワ山下聖美さんだ。

“自分探し”という概念

日本人は、明治になって英語の“I=自分”という概念が入るまで、“自分とは何か”という考えはなかったんです。そこから現在に至るまでの“自分探し”が始まったといえます。

 それに加えて、立場があいまいではいけないから“男性はこうあるもの”“女性はこうあるもの”という思想の概念も広まるようになりました。特に社会的な役割を一身に担わされた男性は、余計に社会における自分とは何かを探さなくてはならなくなったのです。そして、その見つけた“自分”を、男として何かしらの形にしなくてはならなかった。事実、近代文学は“自分”を追求し続けた小説が多いです」

 明治以前は年齢や性差で役割が決まっていた。

「近代が生んだ“男らしさ”が現代には即さないものになっても、“自分探し”という概念は植えつけられたまま残っている。それの一端が現代の男性たちの“ジェンダーレス”なんだと思います。

 とはいえ、よく考えると、そんなに無理して“自分だけの自分”なんて見つけなくてもいいと思いますけどね(苦笑)。古い定義に縛られた自分探しの結果なら、かわいそうだなと思います」(ソコロワさん)

 ジェンダーレス男子たちのスタイルは、彼らなりの自分探しの表現ということだろう。

「“ジェンダーレス○○”という言葉が、ちょっと変わった服装、メイク、外見の好みを持つ人に市民権を与える言葉なのは私も感じます。

 生まれた性別にとらわれず、好きに生きてもいいじゃん! という風潮に勢いを得ている感じもしますね。それこそがこれからの時代では大事だと思います。でもSNSでとにかく注目を集めたいとか、過激に限界を突破するための“ジェンダーレス”だったら、無理しないでね、と言いたいです」(堀江さん)

 ジェンダーレス男子たちには、自分らしさの追求だけでなく、世の中の人たちの生きづらさを楽にする役割も担ってもらえるとありがたいもの!

●堀江宏樹さん 早稲田大学第一文学部フランス文学科卒。近著は『愛と欲望の世界史 その情熱が、歴史を動かした』(三笠書房)。
●ソコロワ山下聖美さん 専門は日本近現代文学。宮沢賢治や林芙美子など。東京とサンクトペテルブルクを両拠点とする。