襲撃と隣り合わせの生き証人

 2人は支援団体やほかの路上生活者とのつながりはほとんどなく、自転車で空き缶を拾い集め、回収業者に売って糊口を凌いできた。相場は1キロ約60円。このほか、コンビニや薬局などで拾った廃棄食品でも食いつないできた。

 家電などの家財道具は、近くのアパートに廃棄されたゴミの中から拾い集めて使っていた。若者たちによる襲撃は、ずいぶん前から頻繁にあったと、Aさんが振り返る。

「小中学生が学校帰りに石を投げてきました。そのたびに110番しようと店や会社に電話を借りに行っても断られるんです。このへんの人は助けてくれませんでした」

岐阜市で起きたホームレス襲撃事件について語る生き証人・Aさん。被害は被害は長らく繰り返されてきた
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 10年前には放火の被害にも遭い、木でこしらえたAさんの小屋が燃やされた。直前に石を投げられ、公衆電話から通報するため、2人とも留守にしていたときだった。

 常に襲撃の危険と隣り合わせで生きてきたAさん。今回も、その予兆はすでに見られた。3月半ばからたびたび、投石を受け、警察には4回通報していた。

 しかし─。

 3月25日午前1時半。

「来たぞ! 行け!」と叫ぶ渡邉さんの声で、テントを飛び出したAさんは、自転車で河川敷を北へ北へと逃げた。 

 周辺には男3人の影。背負っているリュックに投石を受けた。途中、自転車が動かなくなり、草むらに倒して走る。後ろから渡邉さんがついて来るのがわかったが、そのまま先を急いだ。堤防を越え、現場から約1キロ離れた住宅地の路上で「しっこたれとるぞ!」という男の声が耳に入った。振り返ると、渡邉さんが路上に倒れ、男2人が田んぼを突っ切って逃げていく姿が見えた。Aさんは近くの公衆電話から通報した。

「警察と一緒に現場に戻ってきたところ、渡邉さんの頭のまわりは血で染まっていました。私が“来たよ!”と声をかけたら、かすかに返事をしたような気がしました」

 渡邉さんは6時間後、搬送先の病院で息を引き取った。

「雨の日も風の日もアルミ缶を集め、そのお金で猫に餌をやるような人でした。本が好きで、よく図書館にも行っていましたね。最後には私を助けてくれた。犯人の5人は絶対に許さない。償ってほしい。命の大切さを誰もが感じていれば、こんな事件は起きなかった」

 そう語るAさんの口からは深いため息が漏れた。事件後、初めて生活保護を受給し、現在はアパート暮らし。そこから毎日、河渡橋に足を運んでいるという。

 長年、襲撃現場での取材を続けてきた北村さんは、こう持論を展開する。

「実際に石を投げた3人は確信犯ですが、残り2人はどうして通報しなかったのか。それは傍観者が何もしないことで加担するいじめの構造と同じです。襲撃は加害者の子どもだけではなく、ホームレスを日ごろ差別している社会の共犯性の問題。見て見ぬふりをしている、助けようとしない人たちにも原因はあります。それは無関心の暴力です」

 とりわけ今回の事件で特徴的だったのは、Aさんという“生き証人”の存在だ。それが北村さんの使命感をかき立てた。

「Aさんが生きていた。しかも女性の被害者だった。そのことが大きくて。私が行かなければ誰が現場に行くんだという気持ちになりました。私が関わる以上、Aさんも支援するだろうし、加害者の生い立ちや背景を知れば、おそらくその子にも関わることになる。今までの取材経験上、途中で“はいサヨウナラ”はできないんです」