“人殺し”に関わりたくない
でも、手は勝手に新幹線を予約

 ところが、今年に入ってまた起きてしまった。

 現場は、岐阜市西部の河渡橋。3月25日未明、ホームレスの渡邉哲哉さん(当時81)が、少年グループに投石などの暴行を受けた末に殺された。

 逮捕されたのは、大学生を含む19歳の少年5人。うち傷害致死罪で起訴されるなどした3人は、約1キロにわたって渡邉さんを執拗に追いかけ、後頭部に強い打撃を加えて死亡させたという。

 5人はいずれも岐阜県内に住む友人同士で、中学や高校などで野球を通して知り合った。うち2人は、現場から約4キロ離れた朝日大学の硬式野球部員だった。

 襲撃によってホームレスが死亡した事件は、JR大阪駅周辺で'12年、ホームレスの男性(当時67)が少年4人に襲われた事件から8年ぶり。

 北村さんはHCネットの活動を続けながら、'09年に『「ホームレス」襲撃事件と子どもたち いじめの連鎖を断つために』(太郎次郎社エディタス)という本を上梓。襲撃事件における加害者側の心理に迫る取材を続けてきた。

 だから岐阜の事件を知ってとっさに「行かねば」と思ったが、実際に現場に向かうかどうかで逡巡した。その理由は、事件の加害者や関係者に介入し、彼らの人生を背負っていく覚悟の重さがこれまでの取材で身に沁みていたからだ。

「その重さにはもう耐えきれないし、人の生き死にだけでなく“人殺し”に関わるようなしんどいことは2度とできないと思っていました。つらい闇の現実は、もう十分見てきた。できれば、これからは光を見ながら生きていたかったんです。でも手は勝手に新幹線を予約し、岐阜の支援者と連絡を取っていた」

 頭では躊躇していたはずが、気がつくと身体は現場へ向かっていた。

 そこは岐阜駅から西へ自転車で30分ほど走った、河渡橋の下を流れる長良川の河川敷。北村さんが取材で訪れた日の2か月後の7月4日、現場にあったブルーシートのテントはすでに撤去され、そこには日に焼けたひとりの高齢女性が、毛布に座って猫に餌をあげていた。水色のブラウスを着た小ぎれいな格好で、さらさらの長い白髪を後ろで束ねていた。

 周囲は紫陽花など色とりどりの花々で彩られている。その中央には、高さ30センチほどの細長い石が立てかけられ、黒いマジックで「渡邉哲哉」と書き込まれていた。

亡くなった渡邉さんの名前が書かれた石のまわりは花々で埋まっていた。慰霊に訪れる人があとを絶たないという
亡くなった渡邉さんの名前が書かれた石のまわりは花々で埋まっていた。慰霊に訪れる人があとを絶たないという
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「毎日ここで守りをしています。前はいろいろな人が献花に訪れ、北村さんも取材に来てくれました。“おじいちゃんかわいそう”って涙を流す人、“許さん! 即、死刑だ!”と、犯人に怒りをぶつけていた人もいました」

 そう語るこの女性、Aさん(68)は、声が大きく、とにかく元気だ。渡邉さんと20年間、ここで路上生活を続けてきた。

 Aさんと渡邉さんは夫婦ではないが、ときに支え合い、苦楽をともにしてきた仲だ。野良猫を支援するボランティアを通じて知り合った当時は、岐阜市内のアパートに別々に住んでいた。ところが、わけあって20年前の七夕の日、この河川敷に移り住んだ。