元気で健康的なキャラで人気を得た

 次はステージで歌ったり自己PRしたりする実技。1次審査で隣に座った女の子が奇抜な服を着ていた。

「服につけた豆電球がチカチカ光っているんですよ。バカみたいでしょう(笑)。ほかの子はみんなきれいにお化粧もしているのに、私はTシャツ、短パンでスッピンですよ。どうしようと思ったけど、その子と仲よくなったおかげで、リラックスできたんです。どうせ落ちるし、楽しもうと思えたら肩に力も入らなくて」

 ふたりとも最終審査まで残り、佳恵さんがグランプリ。準グランプリはその女の子、山本未來さんが受賞。後から世界的ファッションデザイナー山本寛斎さんの娘だと知った。

デビュー映画の撮影でマレーシアに1か月滞在した。「初めての海外。ストレス発散は食べることだったので太りました」
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 オーディションを勝ち抜いて主演した映画『喜多郎の十五少女漂流記』が'92年に公開されると、宣伝を兼ねてバラエティー番組やテレビドラマに次々と出演。元気で健康的なキャラで人気を得た。

 ショートヘアがよく似合っていたが、実は高校に入ってしばらくはロングヘアだった。ショートをすすめたのは同級生で、今はハワイ在住のバリー敦子さん(46)だ。

「あの時代は長い髪をクルクル巻くのが流行っていたけど、よっちゃんはいつもゲラゲラ笑っていて、とにかく明るかったので“絶対、短い髪が似合うよ”と。オーディションのときはショートで、いつもカラオケで歌っていた『おどるポンポコリン』を元気いっぱい歌ったのがよかったんだと信じています(笑)」

高校時代の仲よし4人組は“しゃもじーず”とグループ名をつけて卒業後も交流
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 放課後は仲よし4人組で毎日遊んでいた。リーダーは敦子さん。佳恵さんのことを「ダメな末っ子みたいだった」と表現する。

「いっつも遅刻してきたり、お金もないのに後先考えずにカラオケに行って、帰りの電車賃がなくなって私たちに借りたり。それが芸能人になったら、いいほうに変わりました。遅刻しなくなったし“やればできるじゃん”と(笑)」