武田真治 1994年ドラマ『若者のすべて』制作発表
武田真治 1994年ドラマ『若者のすべて』制作発表
【写真】1994年、伝説のドラマ『若者のすべて』のとがった武田真治

「脱皮」したのは服だけではない

「フェミ男」時代には、女性ものの服を着ていたこともある武田真治さんが、まるで「脱皮」するかのように「チビT」を脱ぎ捨て、タンクトップ一枚の「マニ男」へと見事な変貌を遂げられていました。

 しかし、武田さんの言動からは、外見的な変化は「脱皮」の一端に過ぎず、むしろ内面的な変化こそが、武田さんの真の「脱皮」であり、私たちが見習うべき点だと教えてくれます。

「フェミ男」時代は、若手イケメン俳優として大成功されていましたが、次々に若い世代が台頭してきます。それはどの世界でも同じですよね。なかでも芸能界は特に競争が激しい世界で、ある方は「芸能界はイス取りゲーム。100席しかない席を誰もが人生を懸けて取りにきている」と言いました。

 年齢を重ねていけば、若手イケメン俳優というポジションに居座り続けることはできません。そんな中、武田さんは、自身の健康のために始めた筋トレによって、心と身体の健康を取り戻していき、自分に対する自信も取り戻していったのでしょう。

 中性的で妖艶、若者特有の危なっかしさと屈託のなさが魅力だった彼が、精神的にも肉体的にもヘルシーで、謙虚でありながら堂々としていて、一時代を築いたスターであるにも関わらず「いじられキャラ」という、突き抜けた存在へと脱皮を果たしたのです。

アラフィフの星!「守破離(しゅはり)」な生きざま

 武田真治さんの生きざまは、武道でいうところの守破離(しゅはり)の典型です。武道では修行に当たって、まずは師匠からの教えられた型を忠実に「守る」ところから始まります。次にその型を「破り」、自分に合った型を模索する。最後は、自分オリジナルの型を見出し、師匠の型から「離れる」ことが、最上の在り方とされています。

 武田さんは、ジュノンボーイとして選ばれて、まずは世間が求める像である「フェミ男」に自分を合わせていく。いわば、「人気者の型」に自分をはめていったのです。そして、サックス奏者やバラエティー番組など、今までの俳優像の型と「チビT」を同時に破っていき、最後は筋トレを通して「フェミ男」から離れ、「武田真治」という生き方を提示していくことで、唯一無二の存在となりました。

 プライベートでは、47歳の時点で、22歳年下の歯科衛生士でモデルでもある静まなみさんと結婚されたことについても、アラフィフ男性の希望の星とも言えます。

 人生100年時代に突入し、生涯活躍し続けていくことが命題である私たちにとって、年齢を重ねていくことで、服もキャラも脱却して輝きを増していく、武田真治流「守破離(しゅはり)」の生きざまは、まさにお手本ではないでしょうか。これからも、50代、60代と年をさらに重ねていく武田さんの生き方から目が離せません。


中村康介(なかむらこうすけ)◎トータルファッションコーディネーター/人材クリエイター 株式会社アクエリアス代表取締役社長、株式会社日本仲人連盟顧問、株式会社パートナーエージェントPACコンサルタント 明治大学商学部在学中にスカウトによりモデル業を開始し、CM・雑誌・広告に数多く出演。主な出演作品としては、CM『三井住友銀行』『キリン』『SONYプレイステーションVR』ほか。現在は、【アクエリアスモデルズ】を立ち上げ、モデルとして活躍する一方、モデル事業・ファッションコンサルティング事業を展開。年間100回程度、ファッションやコミュニケーションをテーマとした婚活セミナー、ブランディングやプレゼントテーマとしたセミナーの講師として全国各地にて講演している。