9月15日、岸部四郎さん(享年71)が8月28日に拡張型心筋症による急性心不全で亡くなっていたことがわかった。半世紀にわたり、さまざまな活動を行なったが、ここではあえてこういう賛辞を送りたい。

 その最大の業績は、“ポンコツタレント”というジャンルを開拓したことだ。

“ポンコツタレント”という立ち位置を開拓

 芸能界入りのきっかけは1969年、兄・岸部一徳(愛称・サリー)がいたザ・タイガースに途中加入したこと。脱退したメンバーの代わりだが、その触れ込みは「サリーの弟が留学先のアメリカから緊急来日」という仰々しいものだった。

 が、実際はろくにギターも弾けず、今でいうエア演奏でごまかしていた。そのうち、曲間のMCをやるようになり、それがそこそこ面白かったことで居場所を獲得する。

 解散後はソロで『ポケナン・ポケタン・ポケット』という曲を出したりしたものの、売れなかった。そこで、役者を始めてみたところ、29歳でハマリ役にめぐりあう。ドラマ『西遊記』(日本テレビ系)の沙悟浄だ。9月16日放送の『バイキング』(フジテレビ系)で坂上忍はその魅力をこう評した。

やる気がないような、ダラダラしてる、あれがめちゃめちゃおもしろくて。(猪八戒役の)西田(敏行)さんとの掛け合いなんか最高でしたよね

 ちなみに、主役の孫悟空を演じた堺正章は当時「地でいけよ」とアドバイスしたという。脱力キャラを地で演じられる、まさにポンコツタレントの鑑である。

 その6年後には、『ワイドショー・ルックルックこんにちは』(日本テレビ系)の2代目司会者に起用された。当初、なぜ彼なのか、疑問の声もあがったが、番組は視聴率トップを独走する。とはいえ、彼を高く評価する声も出なかった。実際、番組の売りはもっぱら曜日ごとの企画の濃さだったからだ。

 一般女性が自らの不幸語りとともに歌を聴かせる「ドキュメント・女ののど自慢」や、ヨネスケが一般家庭に上がりこんで夕食風景をレポートする「突撃・隣の晩ごはん」。後者については昨年、ヨネスケがこんな話をしていた。

どうせ1クールで終わるだろうと思って、テキトーにやってたんですよ。そしたら、そのテキトーさがよくて」(『たけしのこれがホントのニッポン芸能史 グルメバラエティー特集!』NHK BSプレミアム)

 ただ、このとき、ビートたけしは「商売的にはテキ屋なんだよね」と分析していた。アウトローな露天商がその口上と迫力で歩行者を立ち止まらせ品物を売りつけるように、他人の私生活に巧みに入り込んでしまう芸というわけだ。たしかに、ここでヨネスケがやっていたのは映画『男はつらいよ』の寅さんが得意とした“人たらし術”に通じるだろう。