ヤラセはあったのか?

江ノ島の練習場に毎日通っているという設定でしたが、練習生は全国から来ていましたから、さすがに毎日ではなく、収録のときだけ通っていました。なので江ノ島には10回ほどしか行っていません。ただ、そこでは普通に練習していましたし、ボクシングについてはヤラセはありませんでした

 ディレクターが撮影のために“ちょっとでいいので走って”という指示だったのに、指導してくれていた元世界チャンピオンの渡辺二郎さんや渡嘉敷勝男さんは“もっと走るんだ!”と言うので、15km走ったことも(笑)

 全国から対戦相手を募り、実戦形式の練習であるスパーリングも行われた。

僕のライバルとして登場したのが、のちにプロのリングでもグローブを交えることになる松島二郎くん。登場シーンは高級外車で乗り付けていましたが、その外車はディレクターさんからの借りものでした。

 そんな演出はありましたが、スパーリングは真剣そのもの。結果として僕は負けたのですが、1ラウンド3分のところ、最終ラウンドは4分あったそう。テレビ的には僕を勝たせたかったみたいで……(笑)

 飯田がプロ資格を獲得し、番組コーナーは半年ほどで終了したが、ドラマはここからはじまる。

 世界チャンピオンへの登竜門とされるのが『全日本新人王決定戦』だ。東日本と西日本でトーナメントを勝ち抜いた代表同士が激突する。プロデビューし、順当に勝ち抜いた飯田は西日本代表に。そして、東日本代表は『ボクシング予備校』でライバルだった松島。番組終了から約2年後の‘92年2月のことだった。会場には約8000人が詰めかけ、満席状態。

テレビに出たチャラチャラしたヤツってイメージが強かったでしょうから、何が何でも負けられませんでした。“やっぱり練習してないんだな”って言われるのは、絶対に嫌だったんです」

 勝負は判定で飯田の勝利。番組内でのスパーリングでは飯田が負けていたため、プロのリングで雪辱を果たす形となった。さらには‘94年に行われた日本スーパーフライ級王者タイトルマッチでも、グローブを交えた。これも飯田の6回TKO勝ち。

「松島くんもプロで2連敗はできない、“絶対に勝つ”という思いをもって試合に臨んでいたそうです。試合が終わったあとは、スッキリした様子で“今までで一番練習しました”と話していました。彼も減量が厳しかったようで、僕との試合を最後にバンタム級に階級を上げたんです。その後、彼も日本チャンピオンになりました」

 2度の再戦に勝利した飯田は勝ち続け、‘96年にはいよいよ世界戦に挑んだ。