「あたしゃ許さないよ!」

 ’99年3月。浅香は当時レギュラーだったラジオ番組を体調不良で降板することになる。そこで最後に言いたいことを言う流れになると、サッチーとの一件をぶちまけてしまったのだ。

「当時のサッチーは講演会で教育論とかを語ったり、選挙に立候補したりするもんだからずっと頭にきててね(笑)。“稽古に平気で6時間遅れてくる”“あたしゃ許さないよ!”って。それまで我慢していたことを全部ラジオで言っちゃったの」

騒動時の本誌『週刊女性』の記事。2人は長期にわたり取り上げられた(’99年4月20日号より)
騒動時の本誌『週刊女性』の記事。2人は長期にわたり取り上げられた(’99年4月20日号より)
【写真】宿敵・サッチーと掲載されていた当時の週刊誌記事

 当のサッチーは持ち前の図太さで浅香の非難を“売名行為”と一蹴。しかし浅香の発言をきっかけに、サッチーの振る舞いに反感を持っていた芸能人も賛同するように。さらにサッチーには巨額の脱税疑惑もかかり事態はますます大きくなってしまう。

「全国からお礼の手紙や電話がすごかったわよ。サッチーが関わっていた少年野球のお母さんたちも、アメリカ遠征するお金をピンハネされたと話しにきたわね」

 あらゆるところで傍若無人な振る舞いをしていたサッチーの被害を訴える人は、全国で後を絶たなかったそう。

「騒動中、たまたまサッチー宅の最寄り駅に降りたら、あたしに気づいたタクシーの運転手さんたち10人くらいが拍手で出迎えてくれてね。聞けばサッチーってタクシーに乗ると運転手さんに“好きなように行きなさい”って指示するけど、目的地に着いて支払いになったら、“あんたが好きで来たんだから払わない!”とか言って運転手さんが困っていたみたい。“浅香先生、戦ってくれてありがとう”ってお礼言われちゃったわ