別の番組での共演だったら
結果は違った?

「女の敵は女」というけれど、そう仕立て上げているのはいつも男。女同士の連帯を分断するのは常にこういう男どもなんだよな。
 
 もちろん、すべてがネタというか仕掛けであってほしいとは思う。実際には小池と天海は仲がよくて、親交を深めているのならいいんだけど。それでも、テレビ的な仕掛けとして「女が女を貶めて、それをほくそえむ男たち」という構図は観たくないなあ。 

 可愛いモノや甘いモノが好きで、常に流行を追い、イケメンが好きで、ちょっとドジだったり、天然だったり、箸が転がるだけで笑って、脚を組んで座ってはいけなくて、恋愛や結婚を当然したいと思っている。それがテレビ的に求められる女だ。いまだに。

 だから「男も友達も必要ない」と断言する女を異物扱いして笑いに変えようとする。必要なのは思いどおりになる女、男を頼って添え物になる女であって、自己が確立した女、拒否や断言をする女ではない。その手の女を理解できない、しようともしない。
 
 そういう観点でいえば、小池栄子はテレビ的に求められる女であり、天海祐希は異物扱いされやすい女である。両方が貶められず、損もしない、つまりは小池が媚びずに存在できて、天海が自然体でいられるような番組はできないのかしら? 
 
 ふと思い出したのはトークバラエティー番組の『スナックあけぼの橋』(フジテレビ系)だ。2016年から年1回のペースで不定期に放送していた、いわゆる番組宣伝の番組。河田町にある架空のスナックという設定で、ちゃきちゃき仕切るママが天海、ぼんやり天然のチーママが石田ゆり子。夜な夜な訪れるゲストたち(主に俳優)にいろいろな話を聞き出しつつ、カラオケも歌いつつ、という平和な雰囲気で進行していく。
 
 あの空気がとても心地よかった。人を貶めて笑いを取るような人も、俺様をふりかざす輩もいない。全4回に登場したレギュラーがずんの飯尾和樹というセンスのよさ。マツコ・デラックスが登場し、夜のスナック感をおおいにもりあげた初回、JUJUがゲストで歌い、スナックを超えてライブハウス感を味わえた2回目。毎年楽しみにしていたのだが、2018年の3回目は空気が変わって、激しく舌打ちしたことを覚えている。
 
 天海ママが仕切る店に、俺様マインドが入って来ちゃって、すっかりジャックされちゃったのだ。「俺たちの音楽番組」みたいな空気で、番組はまったく異質なものになってしまった。4回目は映画の宣伝もあって、吉永小百合をゲストに迎え入れた。大御所相手に空気はやや硬かったけれど、再び居心地のいいスナックに戻って安心した。
 
 小池がスナックあけぼの橋に来ていたら、もっと違っただろうな。それぞれに生き延びる処世術があってしかりなので、天海ママも受け入れやすかったに違いない。奇しくも同じフジテレビ。次回のスナックあけぼの橋がもしあるとしたら、どうか小池栄子を呼んであげて。あと、ずんの飯尾もマストで。

吉田 潮(よしだ・うしお)
1972年生まれ、千葉県船橋市出身。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。『週刊フジテレビ批評』(フジテレビ)のコメンテーターもたまに務める。また、雑誌や新聞など連載を担当し、著書に『幸せな離婚』(生活文化出版)、『くさらないイケメン図鑑』(河出書房新社)、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか』(KKベストセラーズ)などがある。