ずっと会食をしてきた文化の人たちは

──先日(1月26日)も緊急事態宣言が発令されている最中、自民党の松本純国家対策委員長代理がイタリアンレストランと銀座のクラブをはしごしていたことがスクープされましたよね(報道を受け現在は役職を辞任)。3軒回って帰宅は午後11時になったみたいです。

会食を認めたうえで『要望・陳情を承るかたち』と意味がわからない釈明をされていましたね。クラブのママの『最近銀座にお客さんこないのよ〜』といったグチを“陳情”と言い換えたのでしょうか。あたかも国民に寄り添って悩みを聞いていた感を出していますが、店から出てくるときの写真はだいぶニヤケ顔だったような。

 店でアルコールが出されていたことについても『お茶がわりに(酒が)で出ていた』と説明されていました。私はこれまでお茶がわりにお酒が出てきたことがないので、やはり生きる世界が違うんですかね。

 同席していたもうひとりの公明党の方(遠山清彦幹事長代理。こちらも辞任)も『知人の話を聞いてあげたかった』とやはり“いい人オーラ”を出されています。この件をスクープした『週刊新潮』の記事には、会食をしたレストランのオーナーがイタリアマフィアの末裔(まつえい)だと書かれていました。営業時間の延長はある意味での治外法権が働いたのでしょうか? 政府は時短営業や休業要請に応じなかった飲食店は公表すると言っていましたが、この店もそうなるのか気になりますね」

──どうせ“陳情を承る”のなら、20時までの休業要請に従っている店から聞くべきな気もしますしね。そういえば石田純一もまた10人で会食しているところを撮られていましたね。彼の言い分は《偶然、同席していた知り合いの知り合いがお店にいて、合流してきて。『こんな数になるなら来なかった!』って怒りましたよ。でも、そこで帰るわけにもいかず。あ、私は飲んでませんよ》(『週刊新潮』2021年1月21日発売号)とのことみたいです。

政治家もそうですが、ずっと会食をやってきた文化のひとたちは“途中で帰る”という発想がないのかもしれません。店にダラダラ居座るという行為の根底には、孤独や満たされないものがあるのでしょうか。家庭に帰りづらいとか何か事情を抱えているのかな、などと想像してしまいます

──自民党の各派閥は1月19日、毎週木曜昼の会合時に所属議員同士で一緒にお昼に弁当を食べる『箱弁当』の文化をしばらくの間自粛すると決めたそうです。議員からは「寂しい」との声もあがっているとか。

結束を深めるために行われている伝統で、『一致団結、箱弁当』のかけ声もあったそうです。政治家は周りに敵も多く、簡単に心を許せない状態だからか、頻繁に一緒に食事をしていないと繋がりを実感できないのかもしれませんね。顔を合わせながら同じものを食べることで深まる結束があるのでしょうか。

 新聞には、竹下派は『弁当があると、持ち帰りでも議員同士で食べてしまうかもしれない』という理由で弁当を完全になくしてしまいましたが、女子高生のグループじゃないんだから……と思ってしまいました。中・高生にとっては『お弁当を誰と食べるか』は重要な問題かもしれませんが、いい大人がなぜこんな風習に囚われているのか不思議です。いまでもウラでは“隠れ箱弁当”やせめてもの“ZOOM箱弁当”などが行われていたりして。

 政治家が会食をやめないのは、派閥が生命線になる今の日本政治のありかたも影響しているのかもしれません。飛沫をわかちあうことが信頼関係を生み出していたと